少ない実験データに経験知と機械学習を融合して
2019-09-06 科学技術振興機構,慶應義塾大学,東京大学
ポイント
- リチウム電池の負極として金属を使わない有機材料が求められるが、従来は研究者の試行錯誤や経験と勘で探索されており、設計指針は明らかでなかった。
- 16個の有機化合物の負極容量を実測し、研究者の知見と合わせて機械学習して容量と相関のある因子をマテリアルズインフォマティクス(MI)で抽出した。
- 自前の実験データが少なくても効率的に材料を探索し、世界最高水準の容量と耐久性を両立する有機負極材料を発見。手法の有効性を示した。
JST 戦略的創造研究推進事業において、慶應義塾大学 理工学部の緒明 佑哉 准教授、沼澤 博道 大学院生(当時)らの研究グループは、東京大学 大学院新領域創成科学研究科の五十嵐 康彦 助教らと共同で、マテリアルズインフォマティクス(MI)注1)により、リチウムイオン二次電池の負極となる有機材料の新たな設計指針を確立し、極めて少ない実験数で高容量・高耐久性の材料を得ることに成功しました。
電池の省資源化に向けて、金属を使わない有機材料が世界的に研究されています。リチウム電池やナトリウム電池などの負極材料の探索は従来、研究者の試行錯誤や経験と勘に頼らざるをえませんでした。
MIは一般に、大規模なデータ(ビッグデータ)に対して機械学習を行い、研究者の経験と勘の関与を減らすための手段です。実験科学者が小規模な自前のデータや経験知をどう活用するかは課題でした。
研究グループは、小規模でも比較的正確な実験データと実験科学者の経験と勘を融合した「実験主導型MI」の手法を研究し、これまでにもナノシート材料の収率向上などを達成してきました。
本研究では、まず16個の有機化合物について負極としての容量を実測し、容量を決定付けている少数の要因を、データ科学的手法の1つであるスパースモデリング注2)で抽出しました。この学習結果に基づき、抽出した因子を変数とした容量予測式(予測モデル)を構築しました。次に、市販の化合物の中から、研究者の経験と勘も交えながら、負極としてある程度の容量が見込まれる11個の市販の化合物を選び、実験をする前に容量の予測値を算出しました。予測値の高かった3個の化合物について容量を実測すると、2個の化合物で高容量を示しました。さらに、このうちの1つであるチオフェン化合物を重合すると、容量、耐久性、高速充放電特性が向上した高分子の負極材料を得ることができました。
本研究で確立した有機負極材料の設計指針は、さらなる性能向上を目指す上で重要となります。また、少ない実験データ、研究者の経験と勘、機械学習を融合し、高性能な材料の探索に成功したことで、実験科学とMIとの融合が材料探索を効率化する手法の有効性が示せました。
本研究成果は、2019年9月6日(ドイツ時間)に国際科学誌「Advanced Theory and Simulations」のオンライン速報版で公開されます。
本成果は、以下の事業・研究領域・研究課題によって得られました。
戦略的創造研究推進事業 さきがけ
研究領域:「理論・実験・計算科学とデータ科学が連携・融合した先進的マテリアルズインフォマティクスのための基盤技術の構築」
(研究総括:常行 真司 東京大学 大学院理学系研究科 教授)
研究課題名:「はく離挙動を制御する指針の確立によるナノシート材料の機能設計」
研究者:緒明 佑哉(慶應義塾大学 理工学部 准教授)
研究実施場所:慶應義塾大学 理工学部
研究期間:平成28年10月~令和2年3月
研究課題名:「スパースモデリングによる物質・材料設計のための基盤技術の構築」
研究者:五十嵐 康彦(東京大学 大学院新領域創成科学研究科 助教)
研究実施場所:東京大学 大学院新領域創成科学研究科
研究期間:平成29年10月~令和3年3月
本研究領域では、実験科学、理論科学、計算科学、データ科学の連携、融合によって、それぞれの手法の強みを生かしつつ相互に得られた知見を活用しながら新しい物質・材料の設計に挑む先進的マテリアルズインフォマティクスの基盤構築と、それを牽引する将来の世界レベルの若手研究リーダーの輩出を目指しています。
<研究の背景と経緯>
エネルギー貯蔵を担う電池は多様な研究開発が繰り広げられていますが、中でも電池の省資源化は重要なテーマです。省資源化の1つの方向として、希少な金属資源を使わない有機材料でできた電池に関する研究が国内外で進んでいます。リチウムイオン二次電池やナトリウムイオン電池などの負極材料には、カーボン、金属、金属酸化物などが検討されていますが、容量や省資源などの面で課題があります。
高容量、高耐久性、高速充放電特性を両立する新しい有機負極を実現するための化合物の探索は、2010年頃より世界的に行われていました。しかし、試行錯誤と研究者の勘に頼っており、どのような構造の分子が高い性能を示すのかが明らかではなく、設計指針の確立が求められていました。
MIはこれまで理論科学者、計算科学者、データ科学者の主導で、ビッグデータを活用し、経験と勘に頼らない新材料や新機能を探索する手法として発展してきました。そのため、実験科学のデータは小規模でMIには向いていないと考えられてきました。また、文献に出ている性能を示す数値は、測定条件の違いや誤差などがあるため、MIのデータセットとして用いることに慎重にならざるをえませんでした。
本研究グループは、小規模でも比較的正確な独自の実験データ、実験科学者の経験と勘、機械学習を融合した「実験主導型MI」に取り組んでおり、これまでにもナノシート材料の収率向上などを達成してきました。今回、リチウムイオン二次電池の有機負極に焦点を当て、実験科学者の小規模データ、経験と勘、そしてデータサイエンスの融合により、材料探索の効率化を目指しました。
<研究の内容>
研究グループはまず、共役骨格を持ちリチウムイオンと反応するとこれまでの知見から予想した16個の有機化合物について、負極としての容量を実測しました。これら16個の化合物の容量に寄与すると予想される要因を、研究者の経験や勘も踏まえて24個あげました。
これら研究者の経験や勘も交えた情報に対し、スパースモデリングによる機械学習を行い、容量を決定付けている少数(2~3個)の因子を抽出しました。具体的には、その化合物の電子軌道のエネルギーに関連する値や、電解液との親和性を示す値、分子間相互作用を示すような値であり、これらの値を変数とした容量予測式(予測モデル)により容量の予測値を求めることができます。
この学習結果に基づく容量予測モデルを使い、研究者の経験と勘も交えながら、市販の化合物の中から負極としての性能が未知の11個の化合物を選び出し、実験をする前に容量の予測値を算出しました。その中から予測容量が高かった3個の化合物について、100mAg-1(ミリアンペア毎グラム)と比較的高い電流密度の充放電で容量を実測すると、2個の化合物(benzo[1,2-b:4,5-b’]dithiophene(BdiTp)、trans,trans-1,4-diphenyl-1,3-butadiene)で227mAhg-1(ミリアンペアアワー毎グラム)および310mAhg-1と、実際に高い容量を示しました。
さらに予測モデルを使うと、そのうちの1つであるチオフェン化合物BdiTpは、推定される重合体の合成によりさらに容量が向上することが予測されました。実際に、BdiTpは電解重合によって容易に高分子にすることができ、ナノフレーク状に均一に分散させて電極を作製すると、電流密度20mAg-1の充放電で933mAhg-1の高容量と、充放電を繰り返しても容量劣化が少ない高耐久性を両立した高分子負極材料を得ることができました。このBdiTpの重合体は、有機材料による負極の中で世界でも最高水準の高容量と高耐久性を両立することができました。
<今後の展開>
本研究ではMIを活用し、設計指針を明らかにしつつ高性能な有機負極材料となる化合物を探索し、実験でそれを実証しました。研究グループが確立した設計指針により、さらなる性能向上や新物質の発見が期待されます。
また、本研究は、機械学習に全面的に依存することなく随所で研究者の経験と勘も積極的に取り入れることや、精度の高い予測モデルの作成を追求するのではなく、実験数を最小化して効率化することを目指しました。このことは、実験科学者も、自前の小規模データに経験と勘に加えて機械学習を融合させた、実験主導のMIで材料探索を効率化できることを示しています。
<参考図>
図 実験主導型MIによる有機負極材料の効率的な探索
<用語解説>
- 注1)マテリアルズインフォマティクス(MI)
- コンピューターによる情報科学の手法を材料科学に取り入れた学問分野。さまざまな材料を組み合わせて繰り返し実験をする従来の手法に比べ、新規材料や代替材料の探索などを効率よくできる。材料情報科学とも呼ぶ。
- 注2)スパースモデリング
- 現象を説明する要因は少数(スパース)であるという仮定に基づき、適切な規範に従ってデータに含まれる主要因を抽出する方法。少ない情報から全体像をつかむことができ、MRI画像の鮮明化など多くの分野で利用されている。本研究では、電池の負極となりうる有機材料の探索において、負極の容量を決定付けるのに重要な要因は少数であると仮定してスパースモデリングを適用することで、容量を予測するための重要な因子を抽出した。
<論文タイトル>
- “Experiment-Oriented Materials Informatics for Efficient Exploration of Design Strategy and New Compounds for High-Performance Organic Anode”
(実験主導型マテリアルズインフォマティクスによる高性能有機負極の設計指針と新規化合物の効率的な探索) - DOI:10.1002/adts.201900130
<お問い合わせ先>
<研究に関すること>
緒明 佑哉(オアキ ユウヤ)
慶應義塾大学 理工学部 応用化学科 准教授
五十嵐 康彦(イガラシ ヤスヒコ)
東京大学 大学院新領域創成科学研究科 助教
<JST事業に関すること>
舘澤 博子(タテサワ ヒロコ)
科学技術振興機構 戦略研究推進部 ICTグループ
<報道担当>
科学技術振興機構 広報課
慶應義塾 広報室
東京大学 大学院新領域創成科学研究科 広報室