新規質量分析法とバイオインフォマティクスの統合によるメタボローム解析の新たなハイスループット…

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メタボローム解析の新たなハイスループット・プラットフォーム”PiTMaP”の開発に成功!! 迅速病態解析や術中補助診断技術への応用に期待

2020-05-25 産業技術総合研究所

ポイント

  • メタボローム解析の新たなハイスループット・プラットフォーム “PiTMaP” の開発に成功した。
  • PiTMaPでは、煩雑な前処理操作を行うことなく、臓器試料から直接、72成分のメタボライトを僅か2.4分で測定できる。また、新たに開発したバイオインフォマティクスによって多変量解析や多重検定を考慮した有意差検定といったデータ解析を1分以内に全自動で完了することができる。
  • PiTMaPを肝障害モデルマウスの肝臓試料および悪性度の異なるヒト髄膜種の脳試料に適用した結果、発症機序や病態と関連するメタボライトを抽出することに成功し、PiTMaPの実用性を証明した。

概要

名古屋大学大学院医学系研究科(研究科長:門松健治)・高等研究院(院長:周藤芳幸)の財津 桂 准教授、東京女子医科大学の江口 盛一郎 助教、産業技術総合研究所の井口 亮 主任研究員らの研究グループは、新規質量分析法「探針エレクトロスプレーイオン化タンデム質量分析(PESI/MS/MS)」と統計解析言語Rを用いたバイオインフォマティクスを統合することで、内因性代謝物の網羅的解析手法である「メタボローム解析」の新たなハイスループット・プラットフォーム “PiTMaP (Probe electrospray ionization/tandem mass spectrometry using an R software-based data pipeline)” の開発に成功しました。

本研究ではPESI/MS/MSを用いて、煩雑な前処理操作を行うことなく、マウスおよびヒトの臓器試料から直接、解糖系・TCA回路・ペントースリン酸経路・メチオニン代謝経路などの主要な生体内代謝経路に関連する72成分のメタボライトを僅か2.4分で測定する手法を確立しました。また、統計解析言語Rを用いたバイオインフォマティクスによって、全対象成分に対する箱ひげ図の作成、多変量解析と結果の図示、VIP値の算出とVIP値に基づく検定対象成分の客観的な絞り込み、ならびにFDR補正を考慮した有意差検定の実施と有意差が観察された成分に対する箱ひげ図の作成を1分以内に全自動で完了することに成功しました。さらに、PiTMaPを肝障害モデルマウスの肝臓試料および悪性度の異なるヒト髄膜種の脳試料に適用した結果、各病態に関連するメタボライトを抽出することに成功し、PiTMaPの実用性を証明することに成功しました。

PiTMaPは、近年、高い注目を浴びているメタボローム解析を「簡便に・迅速に・誰にでも」行うことを可能とする新たなハイスループット・プラットフォームであり、メタボローム解析の汎用化に極めて有効です。また、PiTMaPは代謝性疾患などのモデルマウスの迅速病態解析や、脳神経外科などの外科手術時における術中補助診断技術への応用など、幅広い分野において活用できることが期待されます。さらに、対象成分を二次代謝産物などにも拡張することで、植物科学や、近年高い注目を浴びているエクスポソーム解析への応用も期待されます。

本研究成果は名古屋大学研究強化促進事業 若手新分野創成研究ユニット・フロンティア(in vivoリアルタイム・オミクス研究室、代表研究者 財津 桂)、東京女子医科大学、産業技術総合研究所の共同研究に基づくものであり2020年5月25日付で米国科学雑誌「Analytical Chemistry」オンライン版に掲載されます。

概要図

1.背景

近年、メタボローム解析1は病態解析や薬物の毒性発現機序の探索などに広く用いられていますが、現在、メタボローム解析の測定系には主として質量分析2が用いられています。しかし、質量分析を行うためには煩雑な前処理操作が必要であり、多検体処理には多大な労力と時間が必要となることから、メタボローム解析のハイスループット化が強く求められています。特に、質量分析計の操作は一般的に専門性が高く、メタボローム解析を汎用化するための高いハードルとなっています。さらに、メタボローム解析で得られたデータは多変量のデータであり、結果の解釈には、多変量解析3などの解析手法が不可欠です。

よって、メタボローム解析のハイスループット・プラットフォーム4を構築するためには、質量分析の迅速・簡便化とバイオインフォマティクス5を統合することが強く求められてきました。

これまでに、財津准教授らの研究グループでは、探針エレクトロスプレーイオン化タンデム質量分析(PESI/MS/MS)6を用いることで、煩雑な前処理操作を行うことなく、マウスの臓器試料から直接、メタボライトを測定できる手法を開発してきました(Zaitsu et al. Analytical Chemistry 2016, Hayashi, Zaitsu et al. Analytica Chimica Acta 2017)。本手法は微細針を対象成分のサンプリングとイオン化に用いるため、煩雑な前処理操作を行う必要がなく、臓器内のメタボライトを直接測定出来ることから、ハイスループット分析への応用が強く期待されてきました。しかし、従来の手法では対象成分数が26成分に限られており、本手法をメタボローム解析として応用するためには、対象成分数の拡張が不可欠でした。また、PESI/MS/MSを用いて迅速なデータ採取を行ったとしても、結果の解釈には、多変量解析や有意差検定を逐一行う必要があり、ハイスループット化を達成するためには、迅速なデータ解析が可能なバイオインフォマティクスの開発が不可欠でした。

2.研究成果

新たに開発したPiTMaPでは、液体クロマトグラフィータンデム質量分析(LC/MS/MS)に於いて汎用的に用いられている「Scheduled SRM法7」をPESI/MS/MSに初めて導入し、マウスなどの臓器試料から直接、解糖系・TCA回路・ペントースリン酸経路・β酸化経路・メチオニン代謝経路などの生体内代謝経路8に関連するメタボライト72成分を僅か2.4分で測定できるようになりました。さらに、統計解析言語R9を用いて新たに開発したバイオインフォマティクスによって、全対象成分に対する箱ひげ図10の作成、多変量解析および結果の可視化、VIP値11の算出とVIP値に基づく検定対象成分の客観的な絞り込み、ならびにFDR補正12を考慮した有意差検定の実施と有意差が観察された成分に対する箱ひげ図の作成を、1分以内に全自動で完了することに成功しました。さらに、PiTMaPの実用性を検証するため、①解熱鎮痛薬アセトアミノフェン(APAP)の過剰投与によって作成した肝障害モデルマウスおよび対照マウス、②悪性度の異なるヒト髄膜種13の脳試料にPiTMaPを応用しました。

APAP誘導肝障害モデルマウスおよび対照マウスにPiTMaPを実行した結果、図1に示すように、APAP誘導肝障害モデルマウス群と対照マウス群は良好に分離することが示されました。また、VIP値を用いた検定対象成分の絞り込みを行い、多重検定を考慮した有意差検定の結果(図2)から、還元型グルタチオンやタウリン、TCA回路の構成成分などを含めた29成分のメタボライトにおいて有意な変動が生じていることが示されました。APAPの活性代謝物であり、APAP誘導肝障害の毒性本体として知られているN-アセチル-4-ベンゾキノンイミン(NAPQI)はグルタチオン抱合によって解毒されることが知られており、本研究においても、APAP肝障害モデルマウスにおいて還元型グルタチオンの有意な低下が観察されました。また、APAP誘導肝障害では、酸化ストレスの寄与やミトコンドリアの擾乱が示唆されており、PiTMaPは抗酸化作用を有するタウリンの有意な低下や、TCA回路構成成分の有意な変動を捉えることに成功しました。

図1

図1 アセトアミノフェン(APAP)誘導肝障害モデルマウスと対照マウス(Control)の解析結果。
上:PLS-DA score plots。破線、点線はそれぞれ全データの95%、99%信頼区間を示す。赤色および水色の楕円は各群の95%信頼区間を示す。
下:PLS-DA loading plots。設定した基準値より高いVIP値の成分名が自動的に赤字で表示され、検定対象成分を一目で確認することができる。

図2

図2 多重検定を考慮した有意差検定の結果、有意差が認められた成分の箱ひげ図(赤色:APAP肝障害モデル、青緑色:対照マウス)

次に、悪性度の異なるヒト髄膜種の脳試料(G1~G3)にPiTMaPを適用しました。ここでは食事等の影響を考慮し、VIP値による検定対象成分の絞り込み基準を厳しく設定しました。PiTMaPの実行結果、多変量解析の結果(図3)においてG1~G3の群分離が観察されましたが、3群は3方向に分離することが示され、悪性度の進展とメタボロームの変化が連続的ではないことが示唆されました。さらに多重検定を考慮した有意差検定の結果(図4)、G1-G2およびG1-G3の間では脂肪酸の一種であるステアリン酸の有意な差が観察され、髄膜種の悪性度の進展に伴い、ステアリン酸が減少することが明らかとなりました。G2-G3間では有意な差が認められるメタボライトはなかったものの、G1-G3の間では乳酸やタウリンなどの有意な変動が観察されました。一般に、癌細胞では嫌気呼吸が亢進し、乳酸が蓄積することが知られており、癌化しているG3においては嫌気呼吸が亢進した結果、乳酸が有意に上昇したものと考えられました。また、これまでに癌化した髄膜種におけるタウリン濃度は、癌化していない周辺部位よりも高くなることが報告されており、髄膜種の悪性化とタウリンの変動に関連性があるものと示唆されました。

以上の結果、PiTMaPの実用性をモデルマウスとヒトの臓器試料を用いて証明することに成功しました。

図3

図3 悪性度の異なるヒト髄膜種(G1~G3)の解析結果。
上:PLS-DA score plots。破線、点線はそれぞれ全データの95%、99%信頼区間を示す。赤色および水色の楕円は各群の95%信頼区間を示す。
下:PLS-DA loading plots。設定した基準値より高いVIP値の成分名が自動的に赤字で表示され、検定対象成分を一目で確認することができる。

図4

図4 多重検定を考慮した有意差検定の結果、有意差が認められた成分の箱ひげ図。左:G1-G2間、右:G1-G3間。

3.今後の展開

PiTMaPはメタボローム解析の迅速化・汎用化に極めて有効であり、メタボローム解析を「簡便に・迅速に・誰にでも」行うことを可能とする、新たなハイスループット・プラットフォームです。PiTMaPを用いることで、代謝性疾患モデルマウスの迅速病態解析や、脳神経外科などの外科手術時における術中補助診断技術への応用展開が期待されます。また今後、測定対象成分を追加することで、より広範囲の網羅的解析が達成できるようになり、特に近年、高い注目を浴びているエクスポソーム解析14への応用も期待されます。さらに将来的には、統計解析言語Rを用いたバイオインフォマティクスをより簡便に実行することができるよう、Graphical User Interface(GUI)15を開発・実装することを予定しています。

4.用語説明

1. メタボローム解析:
代謝産物(メタボライト)の総体をメタボロームと呼び、生体内でのメタボロームの増減を、網羅的に解析する手法をメタボローム解析と呼ぶ。一般的には、生体試料からメタボライトの抽出や濃縮等の前処理操作を行った後、ガスクロマトグラフィー質量分析、ガスクロマトグラフィータンデム質量分析、液体クロマトグラフィータンデム質量分析等を用いてメタボロームの測定を行う。
2. 質量分析:
分析対象となる成分をイオン化し、電場等を利用してイオン化した対象成分を質量依存的に分離する分析法を指す。また、質量分析を行う装置のことを、質量分析計と呼ぶ。
3. 多変量解析:
多数の説明変数(本研究ではメタボライト)から構成される多次元空間にプロットされる観察対象を2次元平面などに射影を行うことで低次元化を行い、データを可視化する手法のこと。観察対象が属する群の情報を与えずに低次元化を行う主成分分析(PCA)や、群の情報を与え、各群が分離するように低次元化を行うPLS-DAなどがある。
4. ハイスループット・プラットフォーム:
データの取得から解析までを高速処理することが可能な基盤技術のこと。
5. バイオインフォマティクス:
生命情報科学と訳され、生命科学等で得られたデータを情報科学・統計学によって解析する手法や技術を指す。
6. 探針エレクトロスプレーイオン化タンデム質量分析(PESI/MS/MS):
探針エレクトロスプレーイオン化法 (Probe Electrospray Ionization) は、2007年に山梨大学の平岡賢三 教授が開発した新規イオン化法であり、先端直径700 nmの微細針を用いて試料の採取とイオン化を行うことが可能である。タンデム質量分析 (MS/MS)は、質量分析計の質量分離部に「四重極型」と呼ばれる質量分離装置を直列に3つ接続した装置で行う分析手法を指す。MS/MSにより二段階の質量分離が可能となるため、イオン化した対象成分の特異的な検出が可能である。PESIと化合物の同定能力の高いタンデム質量分析(MS/MS)を組み合わせることで、前処理操作を行うことなく、臓器内の対象成分を直接検出することが可能である。2016年に財津准教授らの研究グループがPESI/MS/MSを用いたメタボライト直接分析法を世界で初めて報告した。
7. Scheduled SRM法:
質量分析計では、対象成分を測定するためには、イオン化された対象成分を一定時間、質量分析計に取り込む時間が必要となる。従って、複数の成分を観察する場合には、各成分に質量分析計への取り込み時間を割り当てる必要が生じる。よって、多数の成分を同時に測定しようとすると、1成分当たりの取り込み時間が極めて短くなり、結果的に対象成分の検出感度が低下する。そこで、対象成分を予めいくつかのグループに分割し、同時に測定する対象成分数を少なくすれば、対象成分の装置への取り込み時間が短くなることを防ぎ、感度の低下を避けることが出来るようになる。さらに、1つのグループの測定が終了すると、自動的に次のグループの対象成分が測定開始されるように質量分析計をスケジュール化しておけば、感度を維持したまま、多数の対象成分を測定することが可能となる。このような対象成分のグループ化とグループの自動スケジュール化を用いた分析手法をScheduled SRM法と呼ぶ。
8. 解糖系・TCA回路・ペントースリン酸経路・β酸化経路・メチオニン代謝経路などの主要な代謝経路:
解糖系はグルコースを異化反応によって分解し、エネルギーを産生する経路である。TCA回路はミトコンドリア内でエネルギー産生を行う回路であり、構成成分としてクエン酸やα-ケトグルタル酸などが含まれる。ペントースリン酸経路は解糖系のグルコース-6-リン酸から同じく解糖系のグリセルアルデヒド-3-リン酸へとつながる代替経路である。メチオニン代謝経路はグルタチオンやタウリンといった酸化ストレスへの防御反応に働くメタボライトの生成経路である。これらの代謝経路は、がんや薬物誘因性の肝障害などの発症機序と深く関与しており、メタボローム解析において、これらの代謝経路の主要構成成分の変動を網羅的に観察することが非常に重要な意義を持つ。
9. 統計解析言語R:
オープンソース・フリーソフトウェアの統計解析用プログラミング言語であり、高速演算が可能であることが特徴である。オープンソースの多様な統計手法を利用することが出来る。
10. 箱ひげ図:
データの中央値とデータ全体の75%および25%の数値を示す「箱」と、データの最大・最小値を示す「ひげ(線)」を用いて、データ全体のばらつきを可視化するために用いられる図。
11. VIP値:
Variable Importance Projectionの略であり、多変量解析法の1つであるPLS(Projection to Latent Structures)モデルにおいて、解析対象となる群(例えば対照群と病態群など)の分離に寄与する説明変数(メタボローム解析の場合は各メタボライト)の群分離への寄与度を計量化し、数値で示すことが出来る。
12. FDR補正:
検定を複数回繰り返すと、設定していた有意水準(一般には0.05)に対して誤判定を生じる確率が高まる(第1種過誤(αエラー)と呼ぶ)ことが知られており、これを検定の多重性の問題という。この「検定の多重性の問題」を回避する方法の一つとして、False Discovery Rate(FDR)を調整する方法が提唱されており、検定を複数回繰り返しても、全体のαエラー率(familywise error rate)が0.05を超えないようにする。なお、有意確率(p値)は一般にFDR補正後には補正後の数値であることが分かるようにq値として示される。
13. 髄膜種:
脳を覆う髄膜から発生する脳腫瘍のことで、発生原因はよく分かっていない。経過中に悪性転化することがあり、世界保健機関(WHO)によって、悪性度により良性から悪性まで3段階のグレード(G1、G2、G3)に分類される。
14. エクスポソーム解析:
体内に存在している外因性物質を内因性物質解析と統合解析する手法のこと。
15. Graphical User Interface(GUI):
コンピュータへの指示を、画面上に表示される視覚的なツールを用いて簡便に実行することを可能とする手法のこと。ここでは統計解析言語Rで行う処理をユーザーが視覚的に実行できる手法を指す。
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