2020-06-04 東京大学
<研究成果のポイント>
- 大人の動物の脳内で再生する神経細胞(新生ニューロン)が、睡眠中に活動する様子を世界で初めて観察することに成功しました。
- これにより、怖い体験をしたときに活動した新生ニューロンが、夢を見る期間であるレム睡眠中に再活動していること、またそれが怖い体験の記憶に必要であることを発見しました。
- これは、特定の成長段階にある新生ニューロンだけが持つ機能であることが分かりました。
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)のディペンドラ・クマール 研究員、坂口 昌徳 准教授らと東京大学医学系研究科およびニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)の菅谷 佑樹 助教らの共同研究チームは、大人の脳で再生するごくわずかな神経細胞(新生ニューロン)が、レム睡眠中に脳で起こる、記憶の定着に重要な働きをすることを発見しました。
本研究では、超小型の脳内視鏡を使って、生きたマウスの脳内で新生ニューロンの活動を調べました。その結果、特に怖い経験をしたときに活動したニューロンが、その後のレム睡眠注1のときに再活動することを発見しました。これは、レム睡眠の時に夢を見る仕組みに関連していると考えられます。次に、レム睡眠中の新生ニューロンの活動にどのような機能があるかを知るために、光遺伝学という技術を使って、レム睡眠中に限定して、新生ニューロンの活動を人工的に操作する実験を行いました。すると、マウスはあたかも怖い記憶を忘れたかのように振る舞うようになりました。さらに解析したところ、こうした機能を持つのは、新生ニューロンの中でも特定の成長段階にあるものに限定されており、生まれた直後、または完全に成長しきった新生ニューロンでは、同様の現象は見られないことが分かりました。
今後、大人の脳内で新生ニューロンが睡眠中にどのように恐怖記憶を定着させるかを解明することで、脳が持つ再生能力を高め、アルツハイマー病などの神経が失われる病気や、PTSD などの記憶処理に異常を来す疾患に対する新しい治療法に開発に応用できるものと期待されます。
本研究の成果は、2020 年 6 月 4 日付「Neuron」誌でオンライン公開されます。
- 本研究は、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)、東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)および医学系研究科神経生理学分野、コロンビア大学医科大学院、ネーサン・クライン研究所、他による共同研究として行われました。
- 本研究は、世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI)、JST戦略的創造研究推進事業(CREST)、新学術領域(マイクロ精神病態・記憶ダイナミズム)、科研費、光科学技術研究振興財団、武田科学振興財団、東 京生化学研究会、他の研究プロジェクトの一環として実施されました。
<研究の背景>
ヒトの体内の多くの臓器には、細胞が毎日新しく生まれ変わる再生能力があります。たとえば、ケガをしたり、献血や出血で血液を失っても、通常は数日で元の状態に戻ります。しかし脳は例外です。大人の脳では、病気や事故で 失われた神経細胞は二度と再生しません。この再生能力の低さが、アルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患や、脳卒中、事故による脳挫傷などの治癒を非常に難しくしています。ところが最近の研究で、記憶に重要な働きをする海馬と呼ばれる部位では、成長期を過ぎた大人になっても、ごく少数の神経細胞が毎日新たに再生していること(ニューロンの新生)が分かってきました。この大人の脳内にわずかに残る再生能力を上手く利用することで、失われたニューロンを元に戻し、障害を受けた脳機能を回復させるための研究が世界中で続けられています。今回、本研究チームは、睡眠が身体のさまざまな再生能力を賦活化させることをヒントに、脳の再生能力と睡眠との関係を調査しました。
<研究内容と成果>
本研究チームは、超小型の脳内視鏡を用いて、睡眠中のマウスの脳内で新生ニューロンが活動する様子を、世界で初めて観察することに成功しました。これにより、睡眠中の新生ニューロンの活動は、起きているときの半分以下になることが明らかになりました。新生ニューロンが生じる海馬は、記憶に深く関わる脳部位です。また、記憶の定着には睡眠が重要な役割を果たすことが知られていることから、起きている間に恐怖体験を学習することによって、その後の睡眠中の新生ニューロンの活動がどのように変化するかを調べました。その結果、マウスの脳内に怖いという感情を伴う記憶(恐怖記憶)が定着するプロセスのうち、とりわけレム睡眠中には、新生ニューロンの活動が全体的に大きく低下することを発見しました。一方で、恐怖学習の最中に活動していた新生ニューロンだけは、レム睡眠中に再び活動が上昇することが判明しました(参考図上)。
もしレム睡眠中の新生ニューロンの活動が恐怖記憶の定着に重要なのであれば、その活動を人工的に操作する ことでなんらかの変化が引き起こされる可能性があります。そこで、新生ニューロンの活動を光刺激によりピンポイント で操作する技術(光遺伝学的手法)を新たに開発し、新生ニューロンの活動と記憶の定着との関係を調べました。 新生ニューロンは、大人の脳の中で生涯にわたり神経幹細胞から生じ続け、2ヶ月程度で完全な神経細胞に成長します。この成長過程のさまざまなタイミングで、新生ニューロンの活動をさまざまに操作したところ、発生から 1ヶ月程度の新生ニューロンの活動をレム睡眠中に抑制したときに限って、マウスが恐怖記憶を忘れてしまうことが分かりました(参考図下)。ノンレム睡眠注2中や、そのほかの成長段階の新生ニューロンで活動を抑制しても、このような現象は起こりませんでした。さらに、この時期の新生ニューロンに限って、シナプスという神経細胞同士の情報伝達に重要な構造が、レム睡眠中の活動によって変化しうること(可塑性)も明らかになりました。これらのことから、記憶の定着には、レム睡眠の大人の脳に存在する成長途上の新生ニューロンが持っているシナプスの可塑性が重要であることも示唆されました。
<今後の展開>
本研究チームは、この大人の脳が持つ再生能力が、睡眠中に記憶を定着させる仕組みをさらに明らかにするべく、さらに研究を進めています。今後は、大人の脳内で一定の成長段階にある新生ニューロンが、強いシナプスの可塑性をもつことに注目し、その原理を明らかにしていきます。これらの研究を通して、脳の再生能力を増強させる方 法を見つけることができれば、アルツハイマー病などのニューロンが失われる病気の、新しい治療法の開発に貢献することが期待されます。さらに、これまでほとんど分かっていなかった、レム睡眠中の記憶の処理の仕組みについてより深く理解することで、トラウマ記憶からの回復を促進する方法論の開発を目指しています。これは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の病態理解や、新しい治療法の開発にも応用できると考えられます。
<参考図>
図 本研究に用いた実験手法と結果
特殊な顕微鏡で睡眠中の脳内を観察したところ、恐怖学習時とレム睡眠中で同じ新生ニューロンが活動している ことが分かりました。また、恐怖学習後のレム睡眠中に、新生ニューロンの活動を光で人工的に増強または抑制したところ、成長中の新生ニューロンの活動を抑制したときに限り、マウスが恐怖体験を忘れてしまうことを発見しました。
<用語解説>
注1) レム睡眠:早い眼球の動きを伴う睡眠。身体の筋肉の活動は抑制されているが脳は睡眠中にも関わらず活発に活動し ている。夢を見ていることが多い。
注2) ノンレム睡眠:レム睡眠以外の睡眠。身体と脳の活動が抑制されている。
<掲載論文>
【題 名】:Sparse activity of hippocampal adult-born neurons during REM sleep is necessary for memory consolidation.(レム睡眠中にわずかに活動する海馬の新生ニューロンが、記憶の固定化に必要である)
【著者名】:Kumar D, Koyanagi I, Carrier-Ruiz A, Vergara P, Srinivasan S, Sugaya Y, Kasuya M, Yu TS, Vogt K, Muratani M, Ohnishi T, Singh S, Teixeira CM, Chérasse Y, Naoi T, Wang Y, Nondhalee P, Osman BAH, Kaneko N, Sawamoto K, Kernie SG, Sakurai T, McHugh TJ, Kano M, Yanagisawa M, Sakaguchi M
【掲載誌】:Neuron (DOI: 10.1016/j.neuron.2020.05.008)
<問合わせ先>
【研究全般に関すること】
坂口 昌徳(さかぐち まさのり)
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS) 准教授
【新生ニューロンの活動記録技術に関すること】
菅谷 佑樹 (すがや ゆうき)
東京大学大学院医学系研究科 助教
【取材・報道に関すること】
筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS) 広報連携チーム