子ども時代の情緒的虐待が、成人後のネガティブな情報に対する注意の向け方に 大きな影響を与えることを発見

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生物学的メカニズムの一端も明らかに

2021-03-15 国立精神・神経医療研究センター ,金沢大学

国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター(NCNP) 精神保健研究所の金吉晴所長、行動医学研究部の堀弘明室長、伊藤真利子研究員(現・北海道大学環境健康科学研究教育センター特任助教)、林明明研究員らの研究グループは、NCNP神経研究所疾病研究第三部の功刀浩前部長(現・帝京大学医学部精神神経科学講座教授)ら、金沢大学国際基幹教育院(臨床認知科学研究室)の松井三枝教授と共同で、子ども時代の情緒的虐待(暴言などの心理的虐待)が成人後の注意バイアス変動性1)に関連することを明らかにしました。さらに、そのメカニズムに炎症やBDNF遺伝子2)が関与する可能性を見出しました。
今回の研究は、幼少期に情緒的虐待を経験すると、成人した後も否定的な情報に対する注意の向け方に揺らぎが生じやすいことについて、その生物学的なメカニズムも含めて明らかにした点で、幼少期被虐待体験がもたらしうる長期的な心理的・身体的影響の解明に寄与し、適切な支援や治療につながるものと考えられます。
この研究成果は、日本時間2021年2月12日に国際精神医学誌「Translational Psychiatry」にオンライン掲載されました。

研究の背景

幼少期に虐待やトラウマ体験を経験すると、ネガティブな情報に対して過度に注意を向けるという注意バイアスが強くなりやすいと一時期考えられていました。しかしその後、ネガティブな情報に対して逆に注意を過度に逸らしやすくなるという報告もなされ、見解が分かれていました。そこで私たちは、幼少期に虐待体験を受けると、ネガティブな情報に対し、ある時には注意を過度に向け、またある時には注意を過度に逸らすといったような、ネガティブな情報への注意の向け方が不安定で一貫性がなくなる「注意バイアス変動性」を呈するのではないかと考えました。というのも、生命を脅かすような恐怖体験を経たのちに発症することのある心的外傷後ストレス障害(PTSD)3)患者ではそうした注意バイアス変動性が大きいことが知られており、そのような注意の不安定な向け方によってトラウマに関連した症状が強まることが想定されているからです。
そこで今回、ドット・プローブ課題4)という注意バイアスを捉える実験課題を用いて、健常成人における幼少期被虐待体験と注意バイアスおよびその変動性の関連について、私たちの仮説を検証しました。さらに、この関連の生物学的メカニズムを調べるために、炎症とBDNF遺伝子(記憶・学習に重要な働きをする)に着目しました。これは、幼少期トラウマによって身体の軽度慢性炎症が惹起されることや、炎症とBDNF遺伝子はいずれも認知機能に関連することが示されているためです。たとえば私たちの先行研究でも、PTSD患者においてBDNF遺伝子の一塩基多型(SNP)5) のVal66Met多型が記憶バイアスに関連することが示されています(参考文献1)

研究の内容

本研究は、当センターが主幹研究機関となり、共同研究機関とともに実施しているゲノム・バイオマーカー・心理臨床指標を包含したトラウマ/PTSD研究プロジェクトにおいて収集中のデータおよびサンプルの一部を用いて行われました。
本研究では、128名の健常成人女性ボランティアを対象としました。平均年齢は36.4歳(範囲:20-64歳)で、全員が日本語を母国語とする被験者でした。各被験者に対して簡易的な構造化面接を行い、精神疾患にり患していないことを確認しました。幼少期被虐待体験は、自記式質問紙である幼少期トラウマ質問票(Childhood Trauma Questionnaire)によって評価しました。注意バイアスとその変動性はドット・プローブ課題4)(下記説明参照)によって測定しました。さらに採血を行い、血液中の炎症性物質である腫瘍壊死因子-α (TNF-α)、インターロイキン-6 (IL-6)、高感度C-reactive protein (CRP)濃度を測定するとともに、血液からDNAを抽出してPCR法6)によりBDNF遺伝子Val66Met多型を解析しました。
主要な結果として、幼少期情緒的虐待と注意バイアス変動性の間に有意な正の相関が認められました(p = 0.002; 図1)。これはわれわれの当初の仮説を支持するものでした。

図1  幼少期情緒的虐待と注意バイアス変動性の関連を示す散布図

子ども時代の情緒的虐待が、成人後のネガティブな情報に対する注意の向け方に 大きな影響を与えることを発見

幼少期情緒的虐待は注意バイアス変動性と有意な正の相関を示した (Spearman’s ρ = 0.266, p = 0.002).


血中TNF-α濃度は、注意バイアス変動性と有意な正の相関を示しました(Spearman’s ρ = 0.302, p < 0.001)。血中IL-6濃度と高感度CRP濃度については、注意バイアスや注意バイアス変動性とは有意な相関を示しませんでした。さらに、BDNF遺伝子Val66Met多型のMet対立遺伝子を多く有するほど注意バイアス変動性が有意に大きくなること(図2a)、また、Met多型を有する人が幼少期情緒的虐待を経験することで注意バイアス変動性がさらに大きくなること(図2b)が示されました。

図2  BDNF Val66Met多型間での注意バイアスの比較

(a) Val/Val群 (n = 40)、Val/Met群 (n = 52)、Met/Met群 (n = 15)の間で注意バイアス変動性を比較する、ドットプロットに重ねた箱ひげ図。アスタリスク (*) は、Met対立遺伝子の数が増えるにつれ注意バイアス変動性が有意に大きくなることを示す(p = 0.021; Jonckheere-Terpstra trend testによる)。
(b) 注意バイアス変動性についての、Val66Met多型と幼少期情緒的虐待の交互作用。
被験者をChildhood Trauma Questionnaireの情緒的虐待項目のカットオフ得点(8/9)に基づき、「情緒的虐待あり」「情緒的虐待なし」群に分類した。エラーバーは標準誤差を示す。アスタリスク (*) は、Val66Met多型と幼少期情緒的虐待の交互作用が有意であることを示す(p = 0.022; 2元配置分散分析による)。

研究の意義・今後の展望

本研究の意義は、健常成人女性において幼少期の情緒的虐待体験が注意バイアス変動性に関連することを初めて見出した点にあります。また、そのメカニズムに炎症やBDNF遺伝子多型が関与する可能性についても示されました。BDNF遺伝子多型のMet対立遺伝子はVal対立遺伝子に比べて注意バイアス変動性が大きいという結果が得られましたが、これはValに比べMetは細胞からのBDNF分泌低下を呈するためと考えられます。今後、男性例での検討、さらには注意バイアス変動性の治療法についての研究が進むことが期待されます。

用語解説

1)注意バイアス変動性: 注意バイアスは、感情的に中立な情報(単語の例:「印鑑」)に比べ、ネガティブな情報(例:「爆発」)に選択的に注意を向けるという偏り。注意バイアス変動性は、ネガティブな情報に対して、ある時は過度に注意を向け、ある時は過度に注意を逸らすという、個人内での揺らぎを反映する指標。PTSD患者では注意バイアス変動が大きいことが示されている(図3参照)。

2)BDNF遺伝子:脳由来神経栄養因子(brain-derived neurotrophic factor: BDNF)は、神経細胞の成長や生存、シナプスの機能、神経伝達などを調節するタンパク質。BDNF遺伝子は、BDNFをコードする遺伝子。BDNF遺伝子のVal66Met多型[66番アミノ酸がVal(バリン)からMet(メチオニン)に置き換わる多型]は、細胞からのBDNF分泌低下につながる機能多型であり、種々の精神疾患や記憶・学習・注意機能との関連が報告されている。

3)PTSD: 心的外傷後ストレス障害(posttraumatic stress disorder: PTSD)は、生命の危険を感じるような出来事を体験・目撃する、重症を負う、犯罪被害に遭う、などの強い恐怖を伴う体験がこころの傷(=トラウマ)となり、時間がたっても強いストレスや恐怖を感じる精神疾患。

4)ドット・プローブ課題:注意バイアスを測定するための課題(図3参照)。コンピュータ画面上に視覚刺激のペア(今回は「中立語」と「ネガティブ語」)を提示して、その直後、ペアのいずれかと同じ位置に、反応すべき刺激(=プローブ。今回は「→」または「←」)を提示し、そのプローブに速く正確に反応してもらう(今回は「→」または「←」のコンピューターキーを押してもらう)。注意バイアスがあるとすれば、ネガティブ語と同じ位置に直後に現れたプローブに対しては素早く反応しやすい(反応時間が短い)が、中立語と同じ位置に直後に現れたプローブに対しては反応に時間がかかる(反応時間が長い)と予想される。よって、図3の右のように、二つの反応時間の差を注意バイアスの程度と考えることができる。注意バイアス変動性は、一人ひとりの研究参加者について実験全体を8つの区間に分けて各区間の注意バイアスを求め、区間のあいだでのバイアスの変動の大きさ(=標準偏差)として求めた。

図3  Dot-probe課題と注意バイアス/注意バイアス変動性指標

5)SNP:一塩基多型(single nucleotide polymorphism: SNP)は、ゲノムの中で1つの塩基が別の塩基に置き換わっているというゲノムの個体差(個人差)をいう。この違いが、体質の違い、特定の病気へのかかりやすさ、薬の効きやすさなどの個人差の要因になる場合がある。
6)PCR: ポリメラーゼ連鎖反応(polymerase chain reaction: PCR)は、特定のDNA断片を選択的に増殖させることによって遺伝子検出を行う手法。

原著論文情報

・論文名:Childhood maltreatment history and attention bias variability in healthy adult women: role of inflammation and the BDNF Val66Met genotype.
・著者:Hori H, Itoh M, Lin M, Yoshida F, Niwa M, Hakamata Y, Matsui M, Kunugi H, Kim Y.
・掲載誌:Translational Psychiatry 2021; 11: 122.
・DOI: 10.1038/s41398-021-01247-4
・URL: https://www.nature.com/articles/s41398-021-01247-4
・参考文献1(原著)
The BDNF Val66Met polymorphism affects negative memory bias in civilian women with PTSD.
Hori H, Itoh M, Yoshida F, Lin M, Niwa M, Hakamata Y, Ino K, Imai R, Ogawa S, Matsui M, Kamo T, Kunugi H, Kim Y:
Scientific Reports 2020; 10: 3151.

助成金

本研究成果は、以下の補助金・事業・助成金によって得られました。
・文部科学省科学研究費 基盤研究(A)(19H01047), 基盤研究(C)(20K07937), 挑戦的萌芽研究(16K13501)
・国立精神・神経医療研究センター精神・神経疾患研究開発費
・中冨健康科学振興財団研究助成金
・小柳財団研究助成金

お問い合わせ先

【研究に関するお問い合わせ先】
堀 弘明 (ほり ひろあき)
国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所 行動医学研究部 室長

【報道に関するお問い合わせ先】
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター
総務課広報係

金沢大学学務部基幹教育支援課基幹教育管理係

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