2021-11-26 東京大学
発表者
鴻巣 暁(東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 助教)
柳原 大(東京大学 大学院総合文化研究科 広域科学専攻 教授)
舩戸 徹郎(電気通信大学 大学院情報理工学研究科 機械知能システム学専攻 准教授)
発表のポイント
- 運動時に身体に加わる外乱(乱れの原因となる外部からの力)を予測して姿勢を制御・安定化する神経のメカニズムを明らかにするため、ラットを用いた新規の姿勢実験課題を構築するとともに数理シミュレーションを行いました。
- 床が傾斜する外乱に十分に適応学習したラットは、約1秒未来までの間に自分自身がどう動くかを計算しながら、それが目標とする動きに一致するよう発揮筋力を計算していることが示唆されました。
- 今回確立したラットの実験系と理論的枠組みを応用することで、従来のヒトを被験者とした研究では解明できなかった、予測的姿勢制御の詳細な神経メカニズムが明らかにされることが期待されます。その成果は、日常動作やスポーツにおけるパフォーマンスの向上のみならず、姿勢や運動機能の障害を伴う脳疾患のための創薬やリハビリテーション法の開発につながると期待されます。
発表概要
多くの日常動作やスポーツ動作では、身体に加わる外乱(乱れの原因となる外部からの力)や神経伝達の遅れなどに起因する身体の乱れに対処するため、それらを予測しながら姿勢を制御・安定化することが必要です。ヒトを被験者とした先行研究により、小脳などを代表とする複数の脳領域がこの予測的姿勢制御に寄与することが示唆されてきましたが、詳細な神経機構は明らかではありませんでした。
東京大学大学院総合文化研究科の鴻巣暁助教および柳原大教授、電気通信大学大学院情報理工学研究科の舩戸徹郎准教授らの研究グループは、ラットにおける新規の姿勢制御課題を構築し、得られた運動データを「モデル予測制御(注1)」に基づく数理シミュレーションと比較しました。その結果、床傾斜外乱に十分適応したラットは、現在時刻から約1秒未来までの間の自分自身の動きを予測しながら、その動きが目標とする動きに一致するよう発揮筋力を計算していることが明らかとなりました。
本研究により、外乱に対する予測的制御の神経メカニズムを解明するための新たな実験系と数理シミュレーションによる仮想的な実験系が確立されました。ラットを用いることで、従来のヒトを被験者とした研究では成しえなかった、中枢神経系の薬理学的機能阻害やニューロン活動の記録といったアプローチが可能となり、日常動作やスポーツにおけるパフォーマンスの向上、脳疾患患者のための創薬およびリハビリテーション法の開発等に寄与する研究が、今後飛躍的に進展するものと期待されます。
本研究成果は2021年11月25日(中央ヨーロッパ時間)に「Frontiers in Systems Neuroscience」誌に掲載されました。
発表内容
本研究グループは、これまでヒトを中心として行われてきた外乱実験課題をラットに応用するとともに、「モデル予測制御」に基づく数理シミュレーションを行い、外乱に対する予測的姿勢制御の神経機構を研究しました。
実験は、後肢二足で直立姿勢を維持するラットに対し、感覚入力となる光刺激を与え、その約0.9秒後に支持面である床を後傾させるパラダイムを用いて行われました。ラットの右半身の特徴点に黒色マーカーをつけ、床が傾斜している最中の動態を6台のハイスピードカメラで撮影することにより、姿勢反応が定量化されました。ラットは、初期の試行では床傾斜外乱により大きな姿勢動揺を示しました。具体的には、身体重心角度の増大、後肢の後方回転、体幹上部および頭部の前方回転が観察されました。これらの動揺パターンは、ヒトに床傾斜外乱を課した場合の動揺パターン(先行研究)と概ね一致しました。連続した70回の実験試行を繰り返すことでラットは徐々に外乱に適応し、姿勢動揺を低下させました。
ラットが獲得した予測的制御の神経メカニズムに迫るため、数理シミュレーションを行いました。具体的には、ラットの身体構造を倒立振り子、制御方式を「モデル予測制御」によりモデル化し、実験で得られた学習後のラットの運動データにシミュレーションが一致するよう、予測および身体剛性に関するパラメータの値を探索しました。その結果、ラットは現在時刻から約1秒未来までの時間区間における自分自身の運動を計算しながら、その運動が目標とする運動に一致するよう、足関節周りの筋力発揮パターンを最適化していることが示唆されました。実験パラダイムにおける光刺激から床傾斜までの時間と、この予測の時間がおおよそ一致したことから、ラットは光刺激のタイミングを基に傾斜外乱のタイミングと振幅を予測するようになったと結論付けられます。中枢神経系は「モデル予測制御」と同様の制御方式で外乱に対処する情報処理機能を備えていることが示唆されました。
本研究は、外乱に対する予測的制御のメカニズムを解明するための新たな実験系と理論的枠組みを提示します。ラットを用いることで、中枢神経系の機能阻害やニューロン活動の記録といった研究手法が可能となるため、今後、脳疾患患者のための創薬やリハビリテーション法開発の基礎となる研究が飛躍的に進展するものと期待されます。
本研究グループは、今後、予測的姿勢制御に関連する脳領域の神経活動を詳細に解析することで、感覚入力、外乱、学習、運動出力といった情報処理が、中枢神経系においてどのように表現・実行されているかについて研究をさらに進める予定です。
本研究は科研費「新学術領域研究(JP19H05728)」、「基盤研究(C)(JP18K10955、JP21K03932)」、「若手研究(JP20K19592)」、「国際共同研究加速基金(国際共同研究強化(B)(JP20KK0226)」の支援により実施されました。
添付資料
図1. 実験方法
(A) 実験装置 (B) 床傾斜試行のパラダイム (C) 直立立位を維持するラットと床の回転方向
図2. 予測を伴うラットの姿勢制御のシステム
図3. シミュレーション結果
(上図) 学習後のラットの重心角度データとシミュレーションモデルの一致
(下図) シミュレーションモデルにおける制御トルクと床傾斜に伴う外乱トルク
用語解説
(注1)モデル予測制御
現在時刻から有限時間未来までの時間区間において被制御量が目標量に一致するよう最適化計算を行い、制御入力を逐次決定する制御方式。1970年代後半に開発され、現在は自動車、航空機、エネルギーマネージメントシステムなど幅広い産業分野に応用されている。
論文情報
Akira Konosu, Tetsuro Funato*, Yuma Matsuki, Akihiro Fujita, Ryutaro Sakai, Dai Yanagihara*, “A model of predictive postural control against floor tilting in rats,” Frontiers in Systems Neuroscience: 2021年11月25日, doi:10.3389/fnsys.2021.785366.
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