困ったときは兄弟に~学習行動を制御するタンパク質をよく似たタンパク質がサポートする~

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2021-12-28 東京大学

廣木 進吾(生物科学専攻 博士課程3年生)
飯野 雄一(生物科学専攻 教授)

発表のポイント

  • 東京大学
  • PKC-1やTPA-1に相当するタンパク質はヒトを含む哺乳類にも存在し学習を制御します。本研究により明らかになった、「似ているが少し違う分子が困ったときにだけ助け舟を出す」という仕組みは、どのような状況でも正しく学習を行うための生物共通の仕組みである可能性があります。

発表概要

線虫は、飼育されている際のまわりの食塩の濃度を記憶し、その濃度を好むようになることが知られています。この行動では、PKC-1というタンパク質(酵素)の働きの強さが濃度の「好み」を制御することが分かっています。一方で、PKC-1以外にどのようなタンパク質が学習を制御しているのかは十分に解明されていませんでした。

今回、東京大学理学系研究科生物科学専攻の廣木 進吾大学院生と飯野 雄一教授両名は、TPA-1というPKC-1と非常によく似たタンパク質が、学習が正しく行われるようにPKC-1をサポートすることを見つけました。といっても、PKC-1とTPA-1は形や特徴が少しずつ異なっているために、ふつうの条件ではTPA-1はあまり働きません。TPA-1が働く時というのは、老化によって神経の働きが低下したときや学習行動を余計な感覚入力に邪魔された時など学習を行うことが難しくなるような条件であり、このときになるべく正しい行動を行えるようにTPA-1が補助的に働くことが分かりました。

多くの動物が上記のような「似ているけれど、ちょっと違う」という兄弟のようなタンパク質をいくつも持っています。本研究の成果から、それらの意義について、「困ったときには助け舟を出す」ことで学習などの生存に必要な仕組みをより強固にしているのではないかと推察することができます。また、我々を含めた多くの動物がPKC-1、TPA-1に相当するタンパク質を持っており、しかもそれらも学習を制御することが知られています。本研究がそうしたシステムの理解に直接的につながっていくことも期待されます。

発表内容

線虫は、飼育されている際の環境中の食塩の濃度を記憶し、その濃度を好むようになることが知られています。実際に線虫を塩の濃度勾配の上に置くと、線虫は飼育していた塩の濃度に向かいます。この行動の鍵となる機構として、PKC-1というリン酸化酵素(注2) の活性が、塩を感じる神経であるASER神経細胞内で制御されることが知られていました。PKC-1はジアシルグリセロールという分子とくっつくことにより、自身の働きの強さを制御します。このジアシルグリセロール分子の量は、飼育時の塩濃度に比べていま自分が濃度の高い場所にいれば減り、逆に低い濃度にいれば増えます。ジアシルグリセロールの量が変わることにより、PKC-1の働きが強くなると線虫は高濃度に向かっていき、働きが弱いと線虫は低濃度に向かうようになります。こうして、塩を感じる神経ASERの中でPKC-1の働きが調節されることで、線虫は飼育時の濃度へ向かうというわけです。

一方で、PKC-1以外に学習に働くタンパク質はこれまで十分には分かっていませんでした。東京大学理学系研究科生物科学専攻の廣木 進吾大学院生と飯野 雄一教授両名は、PKC-1の機能が無くなり常に低濃度に向かうようになった変異体(注3) の遺伝子(注4) にランダムに傷をつけ、PKC-1が無くても高濃度に向かうようになった変異体を獲得しました。どのような遺伝子に傷がついたために高濃度に向かうようになったかを調べたところ、それはgoa-1という遺伝子の機能が無くなったためであることが分かりました。さらに調べてみると、goa-1が普段抑えているGq経路というシグナル経路(注5) の働きが強くなりすぎるために高濃度に向かうということも分かりました。これは彼らにとって驚きのことでした。というのも、Gq経路は一般的にジアシルグリセロールの量を増やすために働いていますが、これまで線虫の学習において、ジアシルグリセロールの増加はPKC-1の働きを強める役割だけしか知られていなかったからです。このことから、ジアシルグリセロールの量が十分に増えている状況では、実はPKC-1以外にも隠れたタンパク質が学習に働きうるのではないかと考えられました。

図1:通常時の学習条件では、ジアシルグリセロール(DAG)の変動に対しよりくっ付きやすいPKC-1のみが優先的に反応し、下流のタンパク質のリン酸化を適切なレベルに調整し、学習行動を生み出しています。一方で、老化時はジアシルグリセロールの変動に応答できるPKC-1の量が減ってしまいます。そのためにPKC-1と結合できなかった分のジアシルグリセロールがTPA-1とくっつくことにより、学習行動を生み出していると考えられます。


では、そのタンパク質は何なのか? それを探したところ、TPA-1というタンパク質に行き当たりました。TPA-1というのはPKC-1ときわめて類似した、いわば「兄弟分」のようなタンパク質です。実験の結果、PKC-1、TPA-1を同時に無くすと、Gq経路の働きがいくら強くなっても線虫は低濃度に向かうようになることが分かりました。したがって、十分なジアシルグリセロール量の下ではTPA-1がPKC-1の代わりに学習に働くことができると考えられます。しかし、PKC-1だけがない変異体と異なり、TPA-1だけがない変異体では、線虫は通常どおり学習を行えることも分かりました。つまり、世の兄弟がそうであるように、PKC-1とTPA-1はきわめて似てはいますが、そこには違いがあることになります。両者にどのような差があるのかを調べたところ、TPA-1はPKC-1よりもジアシルグリセロールをくっつけにくく、それは各々のタンパク質がもつ「C1ドメイン」、「C2-likeドメイン」(注6)と呼ばれているパーツの違いによるということが分かりました。

次に、TPA-1はどんな時に学習を助けてくれるのかについて調べました。ここで、彼らは興味深い過去の研究に着目しました。哺乳類であるハツカネズミの海馬(注7) では、PKC-1に相当するタンパク質が老化に伴って働きにくくなる一方で、TPA-1に相当するタンパク質は老化時にそれほど働きが変わらないことが知られています。ここから着想を得て、老化時にはPKC-1の働きが低下しますが、TPA-1が「助け舟」を出してくれることで学習が正常に行われるのではないかという仮説を立てました。実際に調べたところ、老化した線虫でTPA-1を無くすと、PKC-1を無くしたときのように、線虫は低濃度に向かう傾向を示しました。このことから、実際に老化時にTPA-1が学習を補助するよう働くことが分かりました。また、そのほかにも、学習が難しくなるような、「学習行動時に他の刺激が入る」という条件で実験を行ったところ、この条件でもまたTPA-1がないと学習が正常に行えないことが分かりました。

本研究から、TPA-1とPKC-1という「似ているけれど、ちょっと違う」兄弟のような分子が、困った時だけ学習を助けてくれることが明らかとなりました。TPA-1やPKC-1に相当するタンパク質は多くの動物に存在し、また学習に関与することが知られています。このことから、本研究は学習を安定して行うための一般的な機構の解明に繋がるかもしれません。さらに言えば、このような「似ているが少し違う」タンパク質はPKC以外にもたくさん存在します。こうしたタンパク質どうしが「困ったときは助け舟を出す」という仕組みが、生物が様々な環境・ストレスの中でも生き抜ける秘訣になっているのかもしれません。

発表雑誌

雑誌名
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America論文タイトル
The redundancy and diversity between two novel PKC isotypes that regulate learning in C. elegans.

著者
Shingo Hiroki and Yuichi Iino*

用語解説

注1  線虫
学名「Caenorhabditis elegans」という「線形動物」と呼ばれる動物の仲間です。平たく言えば、回虫やギョウ虫の仲間です。ただし、Caenorhabditis elegansは体長約1㎜と非常に小さく、しかも動物に寄生はしません。そのかわり、土壌や腐った果物の中などに生息し、そこに生えた細菌などを食べて暮らしています。
線虫は全ての神経細胞とその接続が明らかになっていることや、体が透明であり観察が容易であること、世代交代が3日と非常に早いことなどの利点から、生命現象を理解するためのモデルとして多くの研究に用いられています。

注2  PKC-1というリン酸化酵素
リン酸化酵素とは、特定のタンパク質に対し「リン酸基」と呼ばれるものをくっつける作用があるタンパク質です。「リン酸基」がつくことにより、多くのタンパク質の働きが変化します。リン酸化酵素にはいくつものタイプがありますが、中でも非常に有名な種類の一つがPKC(プロテインキナーゼC)であり、その多くはジアシルグリセロールという脂質分子とくっついてはじめてタンパク質をリン酸化することができます。このようにして、PKCは「ジアシルグリセロールが増えた」という情報を「標的のタンパク質の働きが変わる」という形に変換することができます。
PKC-1はそのPKCの一種であり、より細かい分類方法ではPKCεと呼ばれる分類に当たります。

注3 変異体
ある遺伝子のDNA配列が通常の配列とは変わってしまった生物を指します。DNA配列が変わることで、その遺伝子の機能が無くなったり、逆に強くなるなどの変化が生じます。

注4 遺伝子
遺伝子とは生物が自分を形作るための設計図に相当するもので、その物理的な実体はデオキシリボ核酸(DNA)です。DNAの中に含まれる情報をもとに、タンパク質が作られます。

注5 シグナル経路
’ PKC-1’の説明でも触れたように、PKCはジアシルグリセロール量の変化を下流のタンパク質の機能変化に変えることができます。また、ジアシルグリセロール量の変化は、’ホスホリパーゼC ’と呼ばれる酵素の働きにより生まれますし、ホスホリパーゼCはGqタンパクというタンパク質により活性化されます。ですから、Gqタンパク質活性化→ホスホリパーゼC活性化→ジアシルグリセロール増加→PKC活性化→タンパク質リン酸化→タンパク質機能の変化というように、ある酵素の活性化は下流にある分子の様々な変化として形を変えて伝わっていきます。この一連の経路のことをシグナル経路と呼びます。

注6 C1, C2-likeドメイン
PKCが持つ特徴的なパーツのことで、このうちC1ドメインと呼ばれる部分がジアシルグリセロールとくっつくことでPKCの働きが強くなります。C2-likeドメインの機能ははっきりとは分かっていませんが、リン脂質と呼ばれる分子に対する働きや、前述のC1ドメインの機能を補助するなどの働きがあると推定されています。

注7 海馬
哺乳類などの脳において、脳の深い場所にある領域であり、記憶を司る領域です。

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