2022-06-03 東京大学
- 発表者
- 板倉 拓海(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 博士課程:研究当時)
村田 健(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 特任助教)
宮道 和成(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 特任准教授:研究当時)
石井 健太郎(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻 博士課程:研究当時)
吉原 良浩(理化学研究所 脳神経科学研究センター システム分子行動学研究チーム チームリーダー)
東原 和成(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授/東京大学国際高等研究所ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)連携研究者)
発表のポイント
- オスマウス間の攻撃行動の制御に重要なオスフェロモン(注1)の受容体を同定しました。
- このフェロモンの情報は、視床下部の特定の神経回路へと伝達され、攻撃経験に依存して攻撃中枢が活性化するようになることを見出しました。
- 本研究は、「性の認識」と「闘争心」が生じる神経メカニズムを理解するための基礎的知見になると期待されます。
発表概要
図 オス特異的フェロモンがオスの攻撃行動を促進する神経基盤
様々な系統のオスマウスの尿によって活性化されるフェロモン受容体として、Vmn2r53を同定しました。Vmn2r53を介した情報は、視床下部のPMvという領域を活性化し、さらに下流のVMHvlという領域を攻撃経験に依存して活性化することで、オスマウスの攻撃行動が促進されます。
オス個体が他のオス個体と出会うと争いを始め、メス個体と出会うと求愛をします。このように、生物が生きていく上で、相手の性別を判断し、その都度、適切な行動を選択することが重要です。この際には、相手に由来する性特異的なフェロモン(匂い)の情報が重要な役割を果たしていると考えられていますが、そのようなフェロモンがどのようにして検出され、脳内で情報処理がなされるかは長い間謎でした。
今回、東京大学大学院農学生命科学研究科の東原和成教授らの研究グループは、オスマウスの尿に応答するフェロモン受容体を同定し、オスマウスがこのフェロモンを受容すると、その情報が本能行動の制御に重要である視床下部の特定の神経回路を活性化することでオス間の攻撃行動が促進されることを発見しました。さらに興味深いことに、このオスフェロモンに対する視床下部の応答は、過去の攻撃経験に依存して生じることを見出しました。マウスにおけるオスフェロモンに特異的に応答するフェロモン受容体と、オスの攻撃行動を制御する神経回路の発見は、「性の認識」や「闘争心」が脳内でどのように生じるかを理解する鍵となると期待されます。
発表内容
オス個体が他のオス個体と出会うと、オス間の攻撃行動が観察されます。オス間の攻撃行動は生物界で普遍的に観察される本能的な行動であり、交尾機会の獲得、縄張りの維持、社会順位の形成に関わります。オス個体同士が対峙した際には、相手に由来するオス特異的な見た目、声、フェロモン(匂い)などの感覚情報が脳に伝達されることで、相手をオスとして認識し、闘争心が芽生え、最終的に攻撃行動に至ると考えられています。しかし、オス特異的な感覚情報の入力によって攻撃行動が出力される神経メカニズムの多くは不明です。
マウスを含む多くの生物において、フェロモンは、鼻腔下部に位置する鋤鼻器(注2)に発現するフェロモン受容体によって受容されます。フェロモン受容体は多重遺伝子ファミリー(注3)を形成しており、数百種類の受容体がそれぞれ異なるフェロモンを特異的に受容すると考えられています。フェロモンの情報がオスの攻撃行動の制御に重要であることは知られていましたが、どの受容体が重要なのかは明らかになっていませんでした。オス特異的フェロモンを受容するフェロモン受容体を同定することは、オスの攻撃行動を制御する神経メカニズムを理解する一助になると考えられます。
そこで、本研究ではまず初めに、オス特異的フェロモンに対する受容体を探索しました。尿は様々なフェロモンが含まれるため、オスマウスの尿を他のマウスに嗅がせ、応答したフェロモン受容体をin situハイブリダイゼーション(注4)によって網羅的に解析しました。すると、フェロモン受容体の中の1種であるVmn2r53がオス尿に特異的に応答することが明らかになりました。大変興味深いことに、Vmn2r53は検証した全ての系統のオスマウスの尿に対して応答し、Vmn2r53はマウスにおいてオス普遍的なシグナルを受容していることが示唆されました。
Vmn2r53のこのような特徴から、Vmn2r53を介した感覚入力は、オス間の攻撃行動の制御に重要であると考えられます。そこで、CRISPR/Cas9システム(注5)によってVmn2r53欠損マウスを作製し、Vmn2r53欠損オスマウスの他オスマウスに対する攻撃行動を観察しました。すると、Vmn2r53欠損オスマウスでは、他オスマウスに対する攻撃が低下していることが明らかになりました。数百あるフェロモン受容体の内の1種類の機能を欠損するだけで攻撃性が弱まるという驚きの発見です。次に、Vmn2r53の活性化が攻撃行動を促進するかを検証しました。オス尿を精製することで夾雑物を取り除き、フェロモン受容体の内、Vmn2r53のみを活性化するフェロモン画分である53AFを用意しました。オスマウスに対して53AFを呈示すると、攻撃を経験したオスマウスにおいて攻撃行動の促進が観察されました。以上の受容体欠損マウスとフェロモン画分を用いた行動実験から、Vmn2r53という単一のフェロモン受容体がオス間の攻撃行動の制御に重要であることが明らかになりました。
では、Vmn2r53を介した感覚入力は、どのような神経メカニズムでオスの攻撃行動を促進しているのでしょうか?視床下部の腹内側核腹外側領域(VMHvl)(注6)が攻撃中枢として同定されています。そこで、ファイバーフォトメトリーシステムを利用した神経活動記録(注7)によってオスマウスに53AFを嗅がせた際の、VMHvlの神経応答を観察しました。すると、他オス個体に対する攻撃を経験していない個体では、VMHvlの53AFに対する応答は観察されませんでしたが、攻撃を経験した後において、応答が観察されました。なお、Vmn2r53欠損オスマウスを用いて同様に記録を行うと、この応答が消失していました。つまり、Vmn2r53を介した感覚入力は攻撃経験に依存して攻撃中枢であるVMHvlを活性化することが明らかになりました。
次に、フェロモン情報がVMHvlを活性化する神経回路の解明を試みました。解剖学的解析から、視床下部の腹側乳頭体前核(PMv)(注8)がVMHvlへと投射し、さらにフェロモン情報処理を担うとされる扁桃体領域から入力を受けることを見出しました。そこで、先ほどと同様に神経活動記録を行い、PMvが53AFに応答するかを検証しました。すると、VMHvlとは対照的に、攻撃経験のない状態においてPMvは53AFに応答しました。さらに、PMvの活動を薬理遺伝学的手法(注9)で抑制すると、VMHvlの53AFに対する応答が消失し、さらに53AFによる攻撃促進効果も消失しました。以上の神経活動の記録・操作、および神経回路の可視化によって、Vmn2r53を介した感覚入力はPMvを活性化し、さらに下流のVMHvlを攻撃経験に依存して活性化することでオスの攻撃行動を促進することが明らかになりました。これは、オス特異的フェロモンが攻撃行動を制御する神経回路基盤を見出した初の知見となります。
今回の一連の成果によって、オス特異的フェロモンが攻撃行動を制御する神経回路メカニズムの一端が明らかになりました。Vmn2r53を介した感覚入力のPMvやVMHvlにおける神経活動をより詳細に解析することで、これまでは抽象的でアクセスが困難であった「性の認知が、行動を駆動するモチベーションと統合され、行動を発露する」プロセスが包括的に理解されると期待されます。本研究がさらに展開していくことで、神秘的な「性」と「心」のダイナミクスが神経科学的に理解できるようになるかもしれません。
発表雑誌
- 雑誌名
- 「Neuron」(オンライン版:6月1日)
- 論文タイトル
- A single vomeronasal receptor promotes intermale aggression through dedicated hypothalamic neurons.
- 著者
- Takumi Itakura*, Ken Murata*, Kazunari Miyamichi, Kentaro K. Ishii, Yoshihiro Yoshihara, and Kazushige Touhara¶ (* equally contribution; ¶ corresponding author)
- DOI番号
- doi.org/10.1016/j.neuron.2022.05.002
- 論文URL
- https://doi.org/10.1016/j.neuron.2022.05.002
問い合わせ先
東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物化学研究室
教授 東原 和成(トウハラ カズシゲ)
用語解説
注1 フェロモン (Sorghum bicolor)
フェロモンは、同種の他個体に作用し、行動や生理変化を引き起こす化学物質です。フェロモンの分子実態は、揮発性有機化合物や、不揮発性有機化合物、ペプチドで、尿、涙、汗などの外分泌液として体外に分泌されます。それぞれの生物種や行動・生理効果に対して特異的なフェロモンが機能していると考えられています。
注2 鋤鼻器
鋤鼻器は、鼻腔下部に位置するフェロモンを受容する感覚器官です。一般的な揮発性の匂いは鼻で受容されるのに対し、鋤鼻器はフェロモン受容に特化しています。マウスの鋤鼻器には100種類以上のフェロモン受容体が発現していますが、多くの受容体はいまだに機能が不明です。鋤鼻器の外科的切除や遺伝学的機能欠損により、鋤鼻器は攻撃行動の制御に重要であることが知られています。
注3 多重遺伝子ファミリー
多重遺伝子ファミリーとは、遺伝子重複によって生じた相同性の高い遺伝子ファミリーです。嗅覚受容体やフェロモン受容体は多重遺伝子ファミリーを形成して、多様な匂いやフェロモン分子を受容します。
注4 in situハイブリダイゼーション
in situハイブリダイゼーションは、細胞に発現する特定のmRNAを特異的に認識するRNAプローブを利用して検出する手法です。本研究では、鋤鼻器において各フェロモン受容体を認識するRNAプローブを利用し、神経活動マーカーと二重染色することで、オス尿に応答するフェロモン受容体Vmn2r53を同定しました。
注5 CRISPR/Cas9システム
CRISPR(Clustered Regularly Interspaced Short Palindromic Repeat)/ Cas9(CRISPR associated protein 9)は本来、細菌や古細菌においてウイルスなどの侵入物を標的として、それらを排除するように機能する適応免疫機構です。CRISPR/Cas9は任意の塩基配列を切断できるため、哺乳類をはじめとしたさまざまな生物種においてゲノム編集に利用されています。
注6 腹内側核腹外側領域(VMHvl)
ネコやラット、マウスなど様々な生物において、視床下部の一領域である腹内側核腹外側領域を人為的に活性化することで攻撃行動を誘発できることが知られており、この領域が本能的な攻撃行動を制御する中枢であると考えられています。
注7 ファイバーフォトメトリーシステムを利用した神経活動記録
ファイバーフォトメトリーは、着目している神経集団に神経活動が生じると蛍光を発するセンサータンパク質を発現させ、その上部に蛍光を検出する光ファイバーを挿入することで、光の強弱で神経活動を記録する手法です。
注8 腹側乳頭体前核(PMv)
腹側乳頭体前核は視床下部の一領域で、VMHvlの近傍に位置する小さな脳領域です。本研究で、この領域がフェロモン情報をVMHvlへと伝達していることが明らかになりました。
注9 薬理遺伝学的手法
薬理遺伝学的手法とは、生体内には存在しない人工受容体を特定の細胞に導入することで、その細胞の機能を薬剤で制御する手法です。本研究では、ヒトムスカリン受容体を元に、生体には存在しない化学物質であるクロザピン-N-オキシドにより活性化されるhM4Diを用いて、神経活動を抑制しました。