2022-11-04 東京大学
藤本 香菜(生物科学専攻 博士課程(研究当時))
田中 優実子(生物科学専攻 博士課程(研究当時))
上村 想太郎(生物科学専攻 教授)
入江 直樹(生物科学専攻 准教授)
発表のポイント
- 妊娠中、マウス胎仔に移入する母由来細胞の細胞種の全貌を明らかにし、免疫関連細胞や幹細胞様細胞などの割合が胎仔ごとに大きく異なることを示した。
- ヒトでもさまざまな種類の母由来細胞が報告されていたが、母由来細胞の細胞種全貌は明らかではなく、胎仔(個体)ごとに差があるかも不明だった点を明らかにした。
- 今後、母由来細胞種の個体間差に着目して研究することで、母由来細胞種が関係するとされる多様な生体内現象の原因解明に貢献すると考えられる。
発表概要
東京大学大学院理学系研究科の入江直樹准教授と藤本香菜(当時大学院生)らは、マウス胎仔一個体ごとに採取した母由来細胞の細胞種の全貌を、各細胞の遺伝子発現情報から明らかにしました。
ヒトやマウスを含む胎盤を持つ哺乳類(有胎盤哺乳類)は、母親の胎内にいる際に母親の細胞が胎児に移入し、胎児体内に生着し、一生涯残るとされています。この母親の細胞を「母由来細胞」と呼びます(図1)。当研究室の先行研究から、母由来細胞は個体ごとに数が異なることが分かっていましたが、本研究により母由来細胞の種類(レパートリー)にも個体間に差があると判明しました。母由来細胞は、母と子の免疫学的な衝突回避、子の組織の再生や疾患の発症・悪化といったさまざまな生体内現象への関与が示唆されていますが、なぜこうした多様な現象に関与しうるのかは不明です。本研究は、この謎を解明する際に重要な基盤的知識となると期待されます。
本研究成果は、2022年11月4日(金)午後7時に国際科学誌「Scientific Reports」のオンライン版に掲載されました。
図1:胎仔期に母由来細胞が移入し、出生後も子の体内に生着する
ヒトやマウスを含む胎盤を持つ哺乳類(有胎盤哺乳類)は、胎内にいる際に、母親の細胞が胎児に移入し、胎児体内に生着、一生涯残る。この母親の細胞を「母由来細胞」と呼ぶ。本研究では、母由来細胞の数だけでなく細胞種も胎仔(個体)によって異なることを明らかにした。図中では母由来細胞を緑色の点で示している。
発表内容
我々ヒトを含む有胎盤哺乳類では、妊娠中に母親から胎児へと細胞が移入し、これら母由来細胞は出生後も微量(10万〜1000万分の1の頻度)ながら子の全身に一生涯残り続けます。これまで、母由来細胞は母児間の免疫系の衝突回避や子の炎症性疾患の発症・悪化、損傷組織の修復といった多様な現象への関与が示唆されてきました。しかし、なぜすべての個体が母由来細胞の移入を受けるのに、個体によって異なる現象への関与が示されてきたのか、その違いを生み出す仕組みは不明のままです。
本研究グループは、こうした違いが生まれる可能性の一つとして、胎児期に移入する母由来細胞の細胞数・細胞種に個体差があるのではないかと仮説を立てました。実際、炎症性疾患において高頻度の母由来細胞(組織によっては健常者と比べて10〜100倍程)が観察されていることや、現象ごとに免疫担当細胞や幹細胞といった多様な細胞種の母由来細胞がいくつも報告されていました。しかし、母由来細胞の頻度が低いこともあり、従来研究では母由来細胞の数や種類が胎仔(あるいは個体)によって差があるのかを包括的に調べた研究はありませんでした。これを明らかにすることは、母由来細胞が関連するとされる多様な現象との因果関係を検証するための基盤的研究となり、母由来細胞の生物学的意義を理解する上でも重要だと考えられます。
本研究では、上記仮説を検証するために有胎盤哺乳類の代表的実験動物であるマウスを用いました。当研究室の先行研究(Fujimoto et al. PLOS ONE (2021) 16(12): e0261357)では、マウス胎仔全身の母由来細胞数に個体差があることは明らかにできましたが、細胞種が胎仔ごとに異なるかどうかを包括的に調べた研究は依然としてありませんでした。そのため本研究では、マウス胎仔全身から個体ごとに母由来細胞集団の細胞種を明らかにし、母由来細胞種に個体間差があるかどうかを検証しました。
まず、母由来細胞を蛍光タンパク質(GFP)で標識し、母由来細胞が移入してくる初期のマウス胎仔(E14.5)全身からGFP陽性細胞のみを検出する実験系を構築しました。もともと数が少ない母由来細胞の喪失を最小限に留めるため、なるべく細胞死が起こりにくい胎仔組織の分離系を用い、フローサイトメトリー(FACS)(注1)による母由来細胞(GFP陽性細胞)の単離を胎仔一個体ごとに行ないました。次に、単離した細胞について一細胞ごとに遺伝子発現データを取得し(single cell RNA-seq)(注2)、既知の細胞種別の遺伝子発現情報データベース(注3)と照らし合わせ、さらにそれぞれの母由来細胞が発現している遺伝子情報を確認することで母由来細胞の細胞種を推定・解析しました。
その結果、解析したマウス胎仔52匹のうち26匹から191個の母由来と考えられるGFP陽性細胞を単離できました。各細胞の遺伝子発現パターンから推定された細胞種を平均すると、母由来細胞の約67%が免疫担当細胞、25%が終末分化(注4)した細胞種であり、残りの8%が分裂能力のある幹細胞様細胞種で占められていることが明らかになりました(図2A, B)。さらに、個体ごとに調べると、免疫担当細胞と幹細胞様細胞の割合は大きく異なっていることが判明しました(図3)。これは、母由来細胞の細胞種は個体(胎仔)によって差があることを示した初めての成果です。
図2:推定された母由来細胞の細胞種とその割合(全個体総合)
A:26匹のマウス胎仔から単離した191個のGFP陽性細胞の遺伝子発現パターンから推定された細胞種の平均的な割合。
B:Aでの細胞種推定結果をもとに、免疫担当細胞、分裂能のある幹細胞様細胞、終末分化した細胞の割合に換算した。
図3:推定された母由来細胞種の各個体における割合
母由来細胞が単離されたマウス胎仔1個体ごとに、推定された細胞種とその割合を示した。円グラフの上のアルファベットは個体をラベルしたものであり、( )の中にはその個体から単離された細胞の数が記載されている。グラフの各色は図2Aと対応している。
さらに、多くの母由来細胞に共通する特徴も発見しました。母由来細胞に共通して発現している遺伝子を調べたところ、細胞移動に関連する可能性のあるタンパク質をコードする遺伝子(Interferon-induced transmembrane protein 2 (Ifitm2) gene)が90%以上の母由来細胞で共通して発現していることが確認されました。このタンパク質と同じファミリーに属するIfitm3遺伝子は、移動性の始原生殖細胞で発現することが知られています。また、細胞移動やヒトの腫瘍転移に関わるSyndecan-binding protein (Sdcbp) 遺伝子の発現も確認されました。さらなる研究は必要ですが、母由来細胞はこれらの細胞移動に関する遺伝子・タンパク質を利用して胎児側へ移動してきているのかもしれません。
本研究により、マウス胎仔における母由来細胞種に個体差があることが明らかになりました。親から子へ受け継がれる遺伝情報が兄弟によって少しずつ異なるのと同様に、母から子に伝えられる情報が細胞レベルでも異なることが判明しました。また、母由来細胞の関与が示唆されている生体内現象のうち、特に子の自己免疫疾患の発症・悪化については原因不明のものが多いことから、本研究の知見が原因解明に貢献することも期待されます。将来的に、母由来細胞種の個体間差が生じる理由を明らかにし、母由来細胞の各細胞種の割合をコントロールすることが出来れば、母由来細胞が関与するとされる炎症性疾患の症状改善や再生、免疫寛容の促進などに繋がる可能性があります。
本研究成果は、科研費(課題番号:21K19254)、武田科学振興財団、特別研究員奨励費(DC2)の支援により実施されました。
本研究チーム構成員
藤本 香菜
東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 博士課程(研究当時)
中島 啓
東京大学大学院薬学系研究科 薬学専攻 助教
堀 昌平
東京大学大学院薬学系研究科 薬学専攻 教授
田中 優実子
東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 博士課程(研究当時)
白崎 善隆
東京大学大学院薬学系研究科 特任助教
上村 想太郎
東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 教授
入江 直樹
東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻 准教授
発表雑誌
- 雑誌名
Scientific Reports論文タイトル
Whole-embryonic identification of maternal microchimeric cell types in mouse using single-cell RNA sequencing著者
Kana Fujimoto*, Akira Nakajima, Shohei Hori, Yumiko Tanaka, Yoshitaka Shirasaki, Sotaro Uemura, Naoki Irie*
用語解説
注1 フローサイトメトリー(FACS)
液体の中に細胞を流し、レーザー光を当てて散乱光や蛍光を測定することにより一細胞ずつの情報を取得するとともに、目的の細胞のみを単離することが可能な実験装置のこと。
注2 Single cell RNA-seq
一細胞に含まれるRNAを元に、一細胞ごとにその遺伝子発現を調べる手法のこと。
注3 既知の細胞種別の遺伝子発現情報データベース
Tabula Muris from N. Schaum et al., Nature, 2018
注4 終末分化
細胞の特殊化(分化)が最後まで行われた細胞のこと。