2023-07-28 東京大学
発表のポイント
- ラットにおいて、子宮へ着床後の受精卵からエピブラスト幹細胞と呼ばれる多能性幹細胞を効率的かつ安定的に作れる新たな培養方法を開発することに成功しました。
- 樹立されたエピブラスト幹細胞は精子・卵子の元となる始原生殖細胞を迅速に作り出すことができ、この始原生殖細胞から作られた精子を顕微受精することで健康な産仔を得ることに成功しました。
- 本研究成果は、妊娠初期とくに着床前後における受精卵の発達に関わるメカニズムの解明や効率的な配偶子の産生に役立つ可能性があり、生殖医学研究や畜産業への貢献が期待されます。
本成果の概要
発表概要
東京大学医科学研究所幹細胞治療研究センター再生発生学分野の小林俊寛特任准教授、岩月研祐日本学術振興会特別研究員らの研究グループは、自然科学研究機構生理学研究所の平林真澄准教授、信州大学繊維学部の保地眞一教授、奈良県立医科大学、京都大学、ケンブリッジ大学の研究チームとの国際共同研究で、ラットを用いて、子宮へ着床後の受精卵からエピブラスト幹細胞 (注1) と呼ばれる多能性幹細胞 (注2) を効率的かつ安定的に作れる新たな培養方法を開発することに成功しました。この樹立されたエピブラスト幹細胞は精子・卵子の元となる始原生殖細胞 (注3) をこれまでの方法に比べて短期間で作り出せること、そしてこの始原生殖細胞から作られた精子を受精させることで健康な産仔が得られることを明らかにしました。
これまでの研究でマウス・ラットにおいて着床前の受精卵から樹立されるES細胞 (注4) やそれに近い性質を持つiPS細胞 (注5) から同様の受精能を持った始原生殖細胞を作り出した研究はありましたが、着床後の受精卵から作られるエピブラスト幹細胞からは世界初の成果になります。特にエピブラスト幹細胞はその性質がヒトやその他の動物において一般的に作られるES細胞、iPS細胞と非常に近い性質を持つことが知られています。そのためモデルとしてラットを用いた本研究成果は、ヒトを含む哺乳類の妊娠初期とくに着床前後における受精卵の発達に関わるメカニズムの解明や、多能性幹細胞からの生殖細胞作製を通じた生殖医学研究および畜産業への将来的な応用に貢献することが期待されます。
なお、本研究成果は2023年7月27日付(米国東部夏時間)、国際科学雑誌「Cell Reports Methods」オンライン版に掲載されました。
発表内容
〈研究の背景〉
近年、ヒトを含む様々な動物の多能性幹細胞から試験管内で精子・卵子といった生殖細胞を作る研究が盛んに進められています。本研究グループでも、ラットのES細胞に受精卵の発達を真似して段階的な刺激を与えることで始原生殖細胞を作り出すことに成功しました (Oikawa et al., Science 2022)。この成果も含め、これまででマウス・ラットという2種類の動物で受精も可能な精子や卵子を作り出せる始原生殖細胞を試験管内で作ることが可能になっています。ヒトや他の動物を用いた研究でも同様の始原生殖細胞を作り出すことが可能になりつつありますが、それらが受精能をもつ精子や卵子になれるかはその評価が技術的あるいは倫理的に難しいこともあり謎に包まれています。一方で、マウス・ラットを含む齧歯類と、ヒトを含む齧歯類以外の動物の間ではES細胞やiPS細胞といった多能性幹細胞の性質に違いがあるとされています。一般的に、齧歯類の多能性幹細胞が着床前の受精卵に近い性質を持っているのに対し、齧歯類以外の動物の多能性幹細胞は着床後の受精卵に近い性質を持っているとされています。そのため着床後の受精卵に近い性質をもつ多能性幹細胞から作られた始原生殖細胞が精子や卵子になれるかは明らかになっていませんでした。そこで本研究は受精能の評価が可能なラットを用いて、着床後の受精卵に近い性質を持つ多能性幹細胞であるエピブラスト幹細胞を作る培養系を開発し、その特徴を明らかにするとともに、そこから生殖細胞が作れるかどうかを検証することにしました。
〈研究の内容〉
① ラットエピブラスト幹細胞の培養法の確立
ラットの着床後の受精卵からエピブラストと呼ばれる多能性細胞の塊を取り出し、マウスのエピブラスト幹細胞の培養に必要とされるアクチビン-AとbFGFというサイトカインを含む培養液を用いて培養すると、エピブラストは自然に細胞死または他の細胞へ分化してしまい、多能性幹細胞として安定して培養することはできませんでした。そこで細胞死を抑制することが知られるROCKシグナル阻害剤 (Y27632) と自発的な分化を抑制する効果が知られるWntシグナル阻害剤 (IWP2、XAV939) という低分子化合物を培地に継続的に加えたところ、高い増殖性と均一な未分化性 (注6) を保ったまま培養できるエピブラスト幹細胞を作ることが可能になりました (図1A)。樹立したラットエピブラスト幹細胞の遺伝子発現を確認したところ、着床前の受精卵よりも由来となった着床後の受精卵に近い特徴を持っていることが明らかになりました。この特徴はラットエピブラスト幹細胞に山中因子 (注7) の一つであるKlf4という遺伝子を導入すると着床前の受精卵に近い状態に戻せる、すなわち初期化できることでも示しています。次にその多能性を評価するために幹細胞を免疫不全マウスの精巣に移植しました。すると数か月後に幹細胞を起源として体を構成する多様な細胞/組織を含むテラトーマ (注8) を形成できることが明らかになりました。これらのことから、エピブラスト幹細胞が由来となった着床後受精卵のエピブラストに近い特徴を持ち、様々な細胞を作り出せる能力=多能性を保ちながら、試験管の中で培養できていることが明らかになりました (図1B)。
図1:ラットエピブラスト幹細胞の未分化性および多能性の評価
A. 樹立されたエピブラスト幹細胞は未分化マーカー (SOX2、OTX2、OCT3/4) を均一に発現している。
B. 免疫不全マウス精巣に移植されたエピブラスト幹細胞からできたテラトーマの組織切片像。表皮、腺組織、筋肉といった様々な組織になっていることが観察される。
② ラットエピブラスト幹細胞から始原生殖細胞の産生
次に、ラットエピブラスト幹細胞から始原生殖細胞を作り出せるかどうかを検証しました。約10000個のラットエピブラスト幹細胞を団子状の塊にし、そこに始原生殖細胞を作るのに重要なBMP4と呼ばれるサイトカインを加え培養しました。すると約3日後に、塊のうち約20%程度の割合で始原生殖細胞を作ることができることが分かりました(図2A)。この始原生殖細胞は、以前に本研究グループが報告したES細胞から誘導した始原生殖細胞と同様の遺伝子発現パターンを示したことから両者が極めて近いものであることを示しています。またラットエピブラスト幹細胞由来の始原生殖細胞を精子のできないラットの精巣に移植すると、移植後約2-3か月後には精巣の一部で精子および精子細胞 (注9) の形成が認められました(図2B)。このラットエピブラスト幹細胞由来の精子細胞が授精して個体を作る能力を持っているか検証するため、ラットの未受精卵に顕微授精し、雌ラットの卵管に移植してあげると正常な産仔に発達することができました(図2C)。以上の結果から、ラットエピブラスト幹細胞からBMP刺激により直接的に産生した始原生殖細胞は、健康な個体の誕生につながる正常な機能性を持っていることが明らかとなりました。
図2:ラットエピブラスト幹細胞から作られた生殖細胞とそれら由来の産仔
A. エピブラスト幹細胞から作られた始原生殖細胞の写真。塊の一部が始原生殖細胞 (赤く光る)。
B. 始原生殖細胞が移植されてから2-3ヶ月後の精巣の写真。精子形成が起こっている場所は緑色蛍光を示し、組織切片像から未熟な生殖細胞 (DDX4:水色) および精子・精子細胞 (PNA:赤) の存在が認められることが明らかになった。
C. Bから回収した精子細胞をラット未受精卵に顕微授精し得られたラット産仔。その後、健康に成体に成長した。
〈今後の展望〉
本研究によりラットの着床後エピブラストから樹立されたエピブラスト幹細胞は精子・卵子の元となる始原生殖細胞を3日間という短期間で作り出すことができました。これまでの私たちの方法では着床前の受精卵に近いES細胞を使っていたため、一旦ES細胞を着床後の受精卵の状態に近い状態に2-3日かけて変化させ、それをさらに3日間刺激するという2つのステップを経て始原生殖細胞を作っていました。そのため今回の細胞を用いた方法では培養に必要な期間を約半分に短縮できたことになります。また段階を踏むという手間がかからずに始原生殖細胞を作り出すことができるため、多くの生殖細胞を必要とする解析や、薬剤のスクリーニングに適しており、生殖医学研究に大きく貢献できると期待されます。さらに今回の研究では初めて着床後の受精卵に近い多能性幹細胞の一種であるエピブラスト幹細胞から作った始原生殖細胞を使って、精子・精子細胞およびそれら由来の健康な産仔を得ることに成功しました。このことは着床後の受精卵に近い性質をもつヒトやその他の動物の多能性幹細胞から作られた始原生殖細胞からもきちんと精子や卵子が作れる可能性を示唆しており、今後の生殖医学研究および畜産業へ貢献する生殖細胞作製技術の開発が一層発展すると期待されます。
〈関連のプレスリリース〉
「ラット多能性幹細胞から精子・卵子の元になる細胞を作ることに成功 – 畜産業や医学研究への実用化に一歩前進 -」(2022/4/8)
https://www.ims.u-tokyo.ac.jp/imsut/content/000006110.pdf
発表者
東京大学医科学研究所 再生発生学分野
小林 俊寛(特任准教授)<自然科学研究機構生理学研究所 遺伝子改変動物作製室(准教授(兼任))>
自然科学研究機構生理学研究所 遺伝子改変動物作製室
平林 真澄(准教授)
信州大学 繊維学部 応用生物科学科
保地 眞一(教授)
論文情報
〈雑誌〉Cell Reports Methods
〈題名〉Rat post-implantation epiblast-derived pluripotent stem cells produce functional germ cells
〈著者〉Kenyu Iwatsuki, Mami Oikawa, Hisato Kobayashi, Christopher A. Penfold, Makoto Sanbo, Takuya Yamamoto, Shinichi Hochi, Kazuki Kurimoto, Masumi Hirabayashi, Toshihiro Kobayashi*
*責任著者
〈DOI〉10.1016/j.crmeth.2023.100542
〈URL〉https://doi.org/10.1016/j.crmeth.2023.100542
研究助成
本研究は、科研費「新学術領域研究(研究領域提案型)(課題番号:18H05548)」、 AMED「再生医療実現拠点ネットワークプログラム(再生・細胞医療・遺伝子治療研究開発課題(基礎応用研究課題))(課題番号:22bm1123008h0001)」、公益財団法人住友財団「基礎科学研究助成(課題番号:210348)」、公益財団法人第一三共生命科学研究振興財団「PIセットアップ研究助成」などの支援により実施されました。
用語解説
(注1)エピブラスト幹細胞
子宮へ着床後の受精卵、とくにエピブラストと呼ばれる未分化性 (注6)を持った細胞集団を試験管内で培養することで作ることができる。ヒトのES細胞と同様の培養条件 (アクチビン-AとbFGFを含む培地など) で樹立でき、同細胞と似た形態や性質を示す。
(注2)多能性幹細胞
試験管内における無限の増殖性と、身体のあらゆる細胞になれる多能性を兼ね備えた細胞。代表的なものとして、胚性幹細胞 (ES 細胞) や人工多能性幹細胞 (iPS細胞) がある。
(注3)始原生殖細胞
妊娠初期の胚で作られる精子・卵子の元になる細胞。マウス・ラットでは受精後約1週間後、ヒトでは約2週間後に出現する。
(注4)ES細胞
胚性幹細胞 (Embryonic Stem Cell) の略称で代表的な多能性幹細胞の1種。子宮への着床が起こる前の受精卵 (とくに胚盤胞と呼ばれる) を試験管内で培養することで作ることができる。
(注5)iPS 細胞
人工多能性幹細胞 (induced Pluripotent Stem Cell) の略称で代表的な多能性幹細胞の1種。皮膚の細胞など体細胞に山中因子(注7)を導入することで作ることができる。
(注6)未分化性
細胞がどの細胞種になるか決まっていない状態・性質。着床前の受精卵である胚盤胞の内部にある塊 (内部細胞塊) や着床後の受精卵にあるエピブラストと呼ばれる部分がこの性質をもち、身体を構成するすべての細胞を作ることができる状態にある。
(注7)山中因子
京都大学・山中伸弥教授が最初に見つけた iPS 細胞に必要な4つの遺伝子 (Oct3/4、Sox2、c-Myc、Klf4) を総称して山中因子と呼ぶ。
(注8)テラトーマ
奇形腫。未分化性を持った細胞が無秩序に身体を構成する様々な細胞/組織に分化した腫瘍で、多能性幹細胞の研究ではこれを形成できることが多能性の指標となる。
(注9)精子および精子細胞
精巣内で減数分裂を終えた生殖細胞でどちらも染色体を体細胞の半数分もつ。精子細胞はさらに変態を経てオタマジャクシの尻尾のような尾部ができると成熟した精子になる。
問合せ先
〈研究に関する問合せ〉
東京大学医科学研究所 再生発生学分野
特任准教授 小林 俊寛(こばやし としひろ)
〈報道に関する問合せ〉
東京大学医科学研究所 プロジェクトコーディネーター室 (広報)
自然科学研究機構 生理学研究所 研究力強化戦略室
信州大学繊維学部 総務グループ庶務