新規ウイルス蛋白質を発見し、ウイルス性脳炎の発症の仕組みを解明
2020-09-29 東京大学,日本医療研究開発機構
発表者
川口寧(東京大学医科学研究所 感染・免疫部門 ウイルス病態制御分野/附属感染症国際研究センター/アジア感染症研究拠点 教授)
加藤哲久(東京大学医科学研究所 感染・免疫部門 ウイルス病態制御分野/附属感染症国際研究センター/アジア感染症研究拠点 助教)
夏目徹(産業技術総合研究所 生命工学領域細胞分子工学研究部門 首席研究員)
足達俊吾(産業技術総合研究所 生命工学領域細胞分子工学研究部門 主任研究員)
発表のポイント
- 従来法では解読が困難であった特別なウイルス遺伝子を効率的かつ包括的に同定可能な「ウイルス遺伝子の新しい解読法」を開発し、単純ヘルペスウイルス(HSV)がコードする9つの新規ウイルス遺伝子とそれらがコードするHSV蛋白質の同定に成功しました。
- 新たに発見したHSV蛋白質の1つが、HSVが引き起こすさまざまな病態の中で、ウイルス性脳炎の発症を特異的にコントロールする病原性因子であることを見出し、その脳炎発症の仕組みを解明しました。
- 本研究成果は、ウイルス性脳炎の新しい治療法の開発に繋がる可能性を秘めています。また、本研究により開発された新しいウイルス遺伝子の解読法が、新型コロナウイルスの遺伝子解読などさまざまなウイルス研究に応用展開されることも期待されます。
発表概要
ウイルス感染による病態の理解には、ウイルス遺伝子にコードされているウイルス蛋白質の包括的な同定が必要不可欠です。また、既存の抗ウイルス剤やワクチンは、ほぼ全ての場合でウイルス蛋白質を標的とすることからも、ウイルスゲノムに含まれる遺伝情報を解読する重要性は明らかです。一方、ウイルスは、単なるゲノムの塩基配列情報からでは予測できない特別な(非標準的な)遺伝情報など、多様で複雑な遺伝情報をウイルスゲノムに搭載しています。このようなウイルスゲノムに潜む遺伝情報の全体像を解読するためには、包括的にウイルス蛋白質を直接検出することが理想的と考えられますが、従来の技術では困難でした。
東京大学医科学研究所の川口寧教授、加藤哲久助教、産業技術総合研究所の夏目徹首席研究員、足達俊吾主任研究員らの共同研究グループは、「多くのウイルスが宿主蛋白質の新規合成を抑制する」という特性に着目し、新規合成蛋白質に特化した質量解析を行うことによって、簡便かつ敏速に非標準的な遺伝情報さえも読み解くウイルス遺伝子の新しい解読法を開発しました(図1)。
本法により、単純ヘルペスウイルス(HSV)(注1)の新規ウイルス蛋白質を9つ同定し、その中の1つであるpiUL49が、HSVが引き起こすヘルペス脳炎(注2)の発症を特異的にコントロールする病原性因子であることを発見し、その脳炎発症の仕組みを解明しました。
本研究成果は、解明された脳炎発症の仕組みを標的としたウイルス性脳炎の新しい治療法の開発に繋がることが期待されます。また、開発されたウイルス遺伝子解読法は、新型コロナウイルスをはじめ他のウイルスの遺伝子解読にも応用可能であり、さまざまなウイルス研究への展開も期待されます。
本研究成果は2020年9月29日、米国科学雑誌「Nature Communications」のオンライン版で公開されます。
なお、本研究成果は、日本医療研究開発機構(AMED)新興・再興感染症に対する革新的医薬品等開発推進研究事業および新興・再興感染症研究基盤創生事業、文部科学省(MEXT)・日本学術振興会(JSPS)科学研究費補助金事業、文部科学省国際共同利用・共同研究拠点事業などの一環として得られました。
発表内容
ウイルスは感染伝播の必要性から、微小なウイルス粒子にゲノムを格納しなければなりません。この物理的な制約のため、ウイルスは進化の過程でゲノムサイズを最少化させ、遺伝子重複や1つの遺伝子から異なる複数のmRNAを生成する選択的スプライシング等を高度に利用し、限られたサイズのゲノムに多様な遺伝情報を密に搭載するようになったと考えられています。このウイルスゲノムに潜む多様で複雑な遺伝情報の全体像を解読することは、従来の技術では困難で、新しいウイルス遺伝子の解読法の開発が必要でした。
これまでの新しい解読法に関する研究では、コードされるウイルス蛋白質を質量分析法により直接的に同定することが理想的とされていますが、従来の技術で単純にウイルス感染細胞を質量解析に供すると、安定的に高発現している宿主蛋白質がバックグラウンドとなり、ウイルスゲノムの複雑な遺伝情報の全体像を解読することは困難でした。
多くのウイルスは、宿主蛋白質の新規合成を抑制することが知られています。つまり、ウイルス感染細胞における新規合成蛋白質の大部分は、ウイルス蛋白質であると考えられます。この特性に着目し、BONCAT法(注3)によって新規合成蛋白質を精製し、高感度質量分析したところ(図1)、得られたペプチドの殆どがHSV由来であり、その内にこれまで未同定だった9つの新規HSV遺伝子がコードするウイルス蛋白質由来のペプチドが含まれていることが分かりました(図2)。これらの新規ウイルス蛋白質の1つをpiUL49と命名し、マウス病態モデルを用いて解析したところ、脳特異的なウイルス増殖を亢進することによって、ウイルス性脳炎の発症に関わることが明らかになりました。また、piUL49はHSVがコードする核酸関連酵素の1つであるdUTPaseと会合し、その酵素活性を上昇させることが分かりました。
dUTPaseは、ほぼ全ての生物、さらには、さまざまなウイルスが保持しており、ゲノムDNA複製時のウラシルの誤混入を抑制することで、ゲノムDNAの正確な複製を維持する重要な核酸関連酵素です。興味深いことに、HSVの代表的な標的組織である上皮系組織である眼や性器、末梢神経系組織である三叉神経節、中枢神経組織である脳を比較解析したところ、piUL49変異ウイルスの増殖性が唯一低下する脳では、宿主dUTPase活性が相対的に低く、また、脳における宿主dUTPase活性を補填すると、piUL49変異によるHSV増殖の低下が復帰しました。これらの知見より、piUL49は、HSV dUTPaseを活性化することにより、宿主dUTPase活性の低い脳において、dUTPase活性を補填し、正確なウイルスゲノムDNA複製を維持することで、中枢神経におけるウイルス増殖に貢献していることが明らかとなりました(図3)。
HSVゲノムの全塩基配列は約20年前に決定され、長い間、ウイルス遺伝子の解読は既に完了したと考えられてきました。そのような状況下、本研究成果では、10種類近くもの新規HSV遺伝子を発見し、その中の1つがウイルス性脳炎の発症と関わるpiUL49をコードしていることを解明したという点で学術的に高い意義があると考えられます。また、piUL49による脳炎発症の仕組みの解明は、HSVの高い中枢神経指向性を理解することに大きく貢献し、その仕組みを標的とすることで、既存の抗ウイルス薬の効果が限定的なHSVによる脳炎の新たな治療法開発に繋がることが期待されます。さらに、本共同研究グループが開発したウイルス遺伝子の新しい解読法は、新型コロナウイルスをはじめとする他のウイルス遺伝子の解読にも応用可能であり、今後、広域なウイルス研究への展開が期待され、さまざまなウイルスの感染機構を紐解く礎となる可能性を秘めています。
発表雑誌
- 雑誌名
- 「Nature Communications」2020年9月29日オンライン版
- 論文タイトル
- Identification of a Herpes Simplex Virus 1 Gene Encoding Neurovirulence Factor by Chemical Proteomics.
- 著者
- 加藤哲久、足達俊吾、川野秀一、竹島功高、渡辺瑞季、北爪しのぶ、佐藤亮太、草野秀夫、小栁直人、丸鶴雄平、有井潤、八田知久、夏目徹、川口寧
- DOI番号
- 10.1038/s41467-020-18718-9
用語解説
- (注1)単純ヘルペスウイルス(HSV)
- ヒトに口唇ヘルペス、性器ヘルペス、脳炎、皮膚疾患、眼疾患、新生児ヘルペス等、多様な疾患を引き起こす。HSV感染症には、抗ウイルス剤が開発されているが、性器ヘルペスや脳炎にはその効果は限定的で、アンメットメディカルニーズ(未充足な医療ニーズ)が高い。
- (注2)ヘルペス脳炎
- HSVの脳への感染によって引き起こされる。無治療での致死率は70%以上と高く、抗ウイルス剤を投与しても10~15%の患者が死に至り、生存した場合でも高率に中~重度の後遺症が残る。社会復帰率は約半数でしかない。
- (注3)BONCAT(Bioorthogonal non-canonical amino acid tagging)法
- 2006年、カリフォルニア大学のDC.Daniela博士らが報告した新規合成蛋白質だけを濃縮する手法。メチオニン類似低分子であるアジドホモアラニン(AHA)添加後に合成された新たな蛋白質と、それ以前から細胞内に存在していた蛋白質を分離できる(図1参照)。
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