2021-03-12 国立精神・神経医療研究センター,千葉工業大学
国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター(NCNP)精神保健研究所児童・予防精神医学研究部の白間綾(しらまあや)リサーチフェローおよび、学校法人千葉工業大学情報科学部情報工学科信川創(のぶかわそう)准教授、国立大学法人金沢大学子どものこころの発達研究センター(協力研究員)/ 国立大学法人福井大学学術研究院医学系部門 (客員准教授)/魚津神経サナトリウム (副院長) 高橋哲也(たかはしてつや)、昭和大学医学部戸田重誠(とだしげのぶ)准教授(他5名)は、瞳孔径の時間的な複雑性と左右瞳孔の非対称性の解析により、覚醒や注意機能を担う脳活動をリアルタイムに推定する新しい技術を開発しました。多くの精神疾患では覚醒や注意機能の異常が見られますが、本手法を利用して安全にこれらの働きを調べることができます。
この研究成果は、2021年2月11日午前6時(中央ヨーロッパ時間、日本時間:2021年2月11日午後2時)に「Frontiers in Physiology」オンライン版に掲載されました。
研究の背景
「目は心の窓」ということわざにあるように、古くから目はその人の精神状態を映し出すと信じられ、人々の興味を引いてきました。人間の瞳には虹彩(こうさい)に囲まれた瞳孔があり、ここから外界の光を眼球内に取り込んでいます。光が強くまぶしい時に瞳孔は収縮し、暗い場所ではより光を取り込もうと拡大します。さらに近年の研究では、瞳孔径(どうこうけい)が閉じたり開いたりする変化(時系列の挙動)は、覚醒や注意などの認知機能に関わる神経活動を反映することが明らかになってきました。しかし瞳孔径を制御する神経系は、交感神経(こうかんしんけい)と副交感神経(ふくこうかんしんけい)の二重支配を受けるなど単純ではなく(図1)、データの解釈には限界がありました。加えて、瞳孔径の時系列の挙動には複雑なパターンが含まれますが、なぜ複雑な挙動が生じるのかほとんどわかっていませんでした。
複雑性について
近年、複雑系研究は自然科学と社会科学における重要性を増しています。複雑系の定義は必ずしも単一ではありませんが、多くの要素が自律的に動作し、且つ要素間の相互作用によって、単一の要素では保持し得ない全体として新しいレベルでの機能が創発するシステムのことを指します。特に、脳は単一の要素であるニューロン(神経細胞)が1000億個以上相互に結合した複雑系の最たるシステムと言えます。そしてこのような複雑系の特徴を示すのが複雑性です。神経活動時系列における複雑性の低下は、さまざまな精神疾患(うつ、統合失調症、アルツハイマー型認知症等)と関連づけられます。カオスと呼ばれる決定論的システム(用語説明1)から生まれる複雑性によって定量化されることが多いです。
図1 瞳孔径の制御神経系
図のように瞳孔の収縮・拡大は交感/副交感神経の二重支配を受けている(交感:太線,副交感:二重線)。さらにこの神経路の入力源は、図の下にある青斑核である。青斑核活動は副交感神経系に対し抑制性の入力として伝わる一方、交感神経系では興奮性入力として伝わる。と同時に、副交感神経系では左右の青斑核活動は反対側にも伝達されるが、交感神経系は同側にしか伝わらない。これにより、青斑核活動の左右差を反映して、瞳孔径にも左右差が生じる(Liu et al., 2017)。
研究の概要
私たちは瞳孔径時系列データを解読するため,近年新たに報告された瞳孔径の制御機構(引用文献1)を取り入れたカオス性を保持したニューラルネットワークによるモデルシミュレーションを組み合わせることにより、瞳孔径時系列データに含まれる複雑性、左右瞳孔の非対称性(ひたいしょうせい)などを解析しました。とくにこのモデルでは得られた瞳孔径の時系列データから、瞳孔径の制御に関わる交感神経系と副交感神経系の活動、そして青斑核(せいはんかく)と呼ばれる大脳の覚醒や注意に関わる脳部位の活動を推定します。
私たちの研究グループでは、17人の健康な成人から瞳孔径を測定しました。つぎに、瞳孔径の大きさと、サンプルエントロピー(用語の説明2)による複雑性、移動エントロピー(用語の説明3)による対称性の評価を行いました。その結果、図2でみられるように、瞳孔径に対して複雑性と対称性が逆U字特性をもつことが明らかになりました。さらに図1のように最新の瞳孔径の制御機構を取り入れた青斑核を起点とする交感神経・副交感神経系からなるニューラルネットワークを構築し、青斑核の活動度に対応する複雑性と対称性の評価をシミュレーションによって行いました。その結果、シミュレーションにおいても同様の逆U字特性が再現され,さらに先行研究(引用文献1)によって報告された青斑核からのエディンガー・ウェストファル核(EWN,図1)への対側の投射の存在が、その逆U字特性を増強していることを明らかにしました。従来、瞳孔径の時間的複雑性がなぜ生じるかほとんどわかっていませんでした。しかし本手法によって、瞳孔径の制御機構(図1)に関わる交感神経系、副交感神経系、青斑核の活動がダイナミックに変化する様子を推定することが可能になります。
図 2 瞳孔径の大きさに対する複雑性のプロフィール(上段)と瞳孔径の大きさに対する対称性のプロフィール(下段).
1つ1つの点はシミュレーションの結果を表す。瞳孔径(横軸)が小さくもなく大きくもないほどほどの大きさのときに、複雑性(上段)と対称性(下段)が高くなる様子が赤線によって示されている
今後の展望
覚醒や注意機能の異常は、自閉スペクトラム症(ASD)や注意欠如多動症(ちゅういけつじょたどうしょう)(ADHD)をはじめとする精神疾患に多くみられる症状です。そのため、このような疾患においては、この逆U字特性のプロフィールに何らかの変化が生じると推測されます。よって本手法により、対象者の覚醒や注意機能の評価を行い、精神疾患の診断の補助とするなどの利用方法が考えられます。また本手法は対象者の心理的・身体的負担が少ないという利点もあります。この評価システムについては、現在、国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センターと千葉工業大学、昭和大学、福井大学で特許を共同出願(特願2020-168949)しております。
引用文献
1) Liu, Y., Rodenkirch, C., Moskowitz, N., Schriver, B., and Wang, Q. (2017). Dynamic lateralization of pupil dilation evoked by locus coeruleus activation results from sympathetic, not parasympathetic, contributions. Cell Rep. 20, 3099–3112. doi: 10.1016/j.celrep.2017.08.094)
用語の説明
1) 決定論的カオス
ある時点での状態が決まればその後の状態が原理的に全て決定される、という決定論的法則に従っているにもかかわらず、複雑で一見ランダム、不規則に見える挙動を示す現象をいいます。生体においては、その機能強化にカオスが積極的に利用されているという研究成果が過去数十年に渡って報告されています。
2) サンプルエントロピー
脳波等の複雑な振る舞いをする生体時系列データにおける複雑性を定量化するために考案された非線形時系列解析手法において用いられます。本研究では瞳孔径の時間的複雑性を定量化するのに使われました。
3) 移動エントロピー
個別に得られた生体時系列データ間の相互依存度を表す非線形時系列解析手法です。図1に示すように、副交感神経系では、左右青斑核の活動は同側だけではなく反対側にも伝わります。その一方、交感神経系は同側のみの経路となります。この構造上、青斑核の活動が高まると副交感神経系を介する左右瞳孔の相互依存度が高まります。本研究では、左右瞳孔径の相互依存度を移動エントロピーにより定量化し、副交感神経系の活動を推定しました。
原著論文情報
・論文名:Frontiers in Physiology
・著者:Sou Nobukawa, Aya Shirama, Tetsuya Takahashi, Toshinobu Takeda, Haruhisa Ohta, Mitsuru Kikuchi, Akira Iwanami, Nobumasa Kato and Shigenobu Toda
・掲載誌: Pupillometric Complexity and Symmetricity Follow Inverted-U Curves against Baseline Diameter due to Crossed Locus Coeruleus Projections to the Edinger-Westphal Nucleus
・https: https://www.frontiersin.org/articles/10.3389/fphys.2021.614479/full
研究経費
本研究はJoint Usage/Research Program of Medical Institute of Developmental Disabilities Research, 昭和大、日本学術振興会 科研費 [研究活動スタート支援 (研究課題/領域番号 19K23395) 、基盤研究 C (20K03490) (研究代表者 白間綾)]、[基盤研究 C (研究課題/領域番号 20K07928) (研究代表者 戸田重誠)]
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