日本人の鼠径ヘルニア(脱腸)に関わる遺伝子座を同定

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非ヨーロッパ人集団で初の大規模ゲノム解析で解明

2021-08-19 理化学研究所,東京大学,静岡県立総合病院,静岡県立大学,日本医療研究開発機構

理化学研究所(理研)生命医科学研究センターゲノム解析応用研究チームの寺尾知可史チームリーダー(静岡県立総合病院免疫研究部長、静岡県立大学特任教授)、ファーマコゲノミクス研究チームの曳野圭子特別研究員、莚田泰誠チームリーダー、東京大学医科学研究所の村上善則教授らの共同研究グループ※は、日本人の「鼠径ヘルニア」を対象にした大規模なゲノムワイド関連解析(GWAS)[1]、および他人種集団とのメタ解析[2]を行い、鼠径ヘルニアの病態に関わる重要な疾患感受性領域(遺伝子座)を同定しました。

本研究成果は、鼠径ヘルニアを生じさせる病態のさらなる解明と、新しい治療法や予防法の開発に貢献するものと期待できます。

鼠径ヘルニアは、腸などの腹腔内臓器が腹壁の脆弱部から皮下にはみ出してしまう状態のことで、発症には遺伝的要因も指摘されています。

今回、共同研究グループは、バイオバンク・ジャパン(BBJ)[3]に登録された約17万5000人のデータを対象に、非ヨーロッパ人集団としては初の鼠径ヘルニアのGWASを行い、日本人に特異的な疾患感受性領域を同定しました。加えて、UKバイオバンク(UKB)[4]のGWAS結果とのメタ解析により、23カ所の重要な疾患感受性領域を同定しました。さらに、異なる人種間で共有された遺伝子構造やエラスチン[5]の重要な役割、鼠径ヘルニアの病態に関与する各組織を明らかにしました。

本研究は、科学雑誌『EBioMedicine』(2021年8月号)の掲載に先立ち、2021年8月12日付でオンライン掲載されました。

日本人の鼠径ヘルニア(脱腸)に関わる遺伝子座を同定
鼠径ヘルニアに関連する遺伝子解析を行った本研究の全体図

※共同研究グループ
理化学研究所 生命医科学研究センター
ゲノム解析応用研究チーム
チームリーダー 寺尾 知可史(てらお ちかし)
(静岡県立総合病院 臨床研究部免疫研究部長、静岡県立大学 薬学部 ゲノム病態解析講座 特任教授)
客員研究員 小井土 大(こいど まさる)
(東京大学医科学研究所 人癌病因遺伝子分野 特任助教)
上級技師 冨塚 耕平(とみづか こうへい)
研究員 劉 暁渓(りゅう ぎょうけい)
ファーマコゲノミクス研究チーム
チームリーダー 莚田 泰誠(むしろだ たいせい)
特別研究員 曳野 圭子(ひきの けいこ)
基盤技術開発研究チーム
チームリーダー 桃沢 幸秀(ももざわ ゆきひで)
東京大学医科学研究所 人癌病因遺伝子分野
教授 村上 善則(むらかみ よしのり)
特任研究員 森崎 隆幸(もりさき たかゆき)
研究支援
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)オーダーメイド医療の実現プログラム「疾患関連遺伝子等の探索を効率化するための遺伝子多型情報の高度化(研究開発代表者:久保充明); JP17km0305002」の助成を受けて行われました。
背景

「鼠径ヘルニア」は脱腸とも呼ばれ、腸などの腹腔内臓器が腹壁の脆弱部から皮下にはみ出してしまう状態のことです。腸の一部が出口に挟まってしまったり、組織や血管などが圧迫されて血流が悪くなってしまったりするなど、重い合併症を引き起こすことがあるため外科手術が行われますが、再手術が必要になったり、術後の慢性的な痛みが生じることがあります。近年では高齢者の腸閉塞等の原因としても注目されています。

鼠径ヘルニアは病態がまだ完全には解明されておらず、発症には遺伝的要因も指摘されています。これまで大規模なゲノムワイド関連解析(GWAS)は2015年にヨーロッパ人集団で報告されただけで注1)、その他のこれまでの結果を含めても遺伝的背景を十分に説明することはできず、また非ヨーロッパ人集団でのGWASは過去に例がありませんでした。

そこで共同研究グループは、バイオバンク・ジャパンに登録されている約17万5000人のデータを対象に大規模なGWASを行い、さらにUKバイオバンクのデータと合わせたメタ解析を行うことで、鼠径ヘルニアの発症に関わる新たな疾患感受性領域(遺伝子座)を探索しました。

注1)Jorgenson E, Makki N, Shen L, Chen DC, Tian C, Eckalbar WL, et al. A genome-wide association study identifies four novel susceptibility loci underlying inguinal hernia. Nat Commun. 2015;6:10130.

研究手法と成果

共同研究グループは、鼠径ヘルニア患者に特徴的な遺伝的変異を網羅的に検出するため、バイオバンク・ジャパンの登録者のうち、鼠径ヘルニア患者群1,983人と対照群17万2507人を対象に、非ヨーロッパ人集団としては世界初で最大規模となるGWASを行いました。解析には、理研の研究チームが2020年に開発した日本人特有のレアバリアント[6]を多く含むリファレンスパネル[7] 注2)を用いたインピュテーション法[8]でより高精度に推定された遺伝情報を用いました。

解析の結果、ゲノムワイド有意水準[9](p<5.0×10-8)を満たす、これまでに報告のない疾患感受性領域(エラスチン遺伝子近傍のELN /TMEM270)を同定しました(図1)。第7染色体上のエラスチン(ELN)遺伝子は弾性線維の要素の一つであるエラスチンタンパク質をコードしており、ELN遺伝子の変異は鼠径ヘルニアを発症しやすいといわれるまれな結合組織病[10]患者に見られます。また、GWAS結果から推定される遺伝的寄与率(SNP[1] heritability)[11]は25.3%だったことから、鼠径ヘルニアの遺伝的要素を裏付ける結果となりました。


図1 日本人の鼠径ヘルニアGWASのマンハッタンプロット横軸が染色体位置、縦軸が解析対象となった全ゲノム領域のp値であり、該当する染色体位置における関連の強さを示す。赤線がp 値=5.0×10-8のゲノムワイド有意水準に該当する。鼠径ヘルニアの疾患感受性領域として、エラスチン遺伝子近傍のELN /TMEM270を同定した。


また、エラスチンの組織を支えるという重要な役割は異なる人種間で共通ですが、GWASで同定した疾患感受性領域(ELN遺伝子近傍)は、人種特異的であることが示されました(図2)。


図2 GWASで有意となった領域の日本人(上)とUKバイオバンクのデータ(下)の比較図1を拡大し、日本人集団が鼠径ヘルニアと関連する遺伝子領域を示した。上の図で最も関連の強いことを示した紫の点が、日本人集団で最も有意な領域である。下の図は、UKバイオバンクデータで上の図と同じ領域を拡大したもので、紫のダイヤがUKバイオバンクの集団で最も有意な領域を示す。赤の点線はそれぞれの集団で最も有意な領域の位置。エラスチンの重要な役割は異人種間で共通だが、詳細には人種特異的であった。


続いて、GWAS結果を基に下流解析を行いました。まず、ポリジェニックな要素(多遺伝因子)によって決定される疾患のメカニズムを評価するために、パスウェイ解析[12]を行ったところ、細胞接着(focal adhesion)に関するパスウェイが疾患に寄与する可能性が示されました。次に、Heritability enrichment解析[13]では、同定された領域が結合組織・消化管組織に関連した遺伝子へ有意に集積しており、さらに、あらゆる消化管の平滑筋に関連した遺伝子への集積も傾向として見られました。さらに、鼠径ヘルニアの遺伝的要素により制御される転写について探索するために、トランスクリプトームワイド関連解析(TWAS)[14]を行ったところ、第7染色体上のCALD1遺伝子が、下腹部の皮膚と有意に関連することが分かりました。これらの結果は、鼠径ヘルニアの病態において「細胞接着(組織を定位置で支える)」、「消化管(鼠径ヘルニアの中身となり得る)」、「皮膚(鼠径ヘルニアを覆う)」に関連する遺伝子制御が重要であることを示唆しています。

さらに、UKバイオバンクGWASの結果を統合し、メタ解析を行った結果(鼠径ヘルニア患者群1万7978人、対照群53万4124人)、疾患感受性領域として23カ所が同定され、そのうち5カ所(TGFB2、RNA5SP214/VGLL2、LOC646588、HMCN2、ATP5F1CP1/CDKN3)は未報告でした。これらは、日本人とヨーロッパ人の異人種間で共有された遺伝的要素であるために同定されたと考えられます。

次に、理研の研究チームが2020年に開発した機械学習[15]の手法を用い注3)、従来の遺伝子発現とSNPの関連解析(eQTL)[16]では同定が難しかった転写制御領域[17]の活性に影響を与える領域を調べたところ、今回同定された領域の中でTGFB2、LOX、WT1-AS/WT1遺伝子上の5カ所が該当することが明らかになりました。WT1-AS/WT1遺伝子間のSNP rs2234580においては、鼠径ヘルニアに関連する複数の組織におけるプロモーター[17]の発現を促進することが推測されました。この手法を用いても、鼠径ヘルニア発症には複数の組織(細胞外要素・消化管・皮膚)に関連する遺伝的要素が関わっていることが示されました。

最後に、今回同定した領域の機能的意味合いを探索すべく、Gene Set Enrichment解析[18]を行ったところ、複数の遺伝子で細胞外マトリックス[19]に関するパスウェイでの発現、弾性線維・細胞外マトリックスとそれに関連するタンパク質の遺伝子への集積が示され、鼠径ヘルニア発症のメカニズムと合致する所見が得られました。これらの結果からも、今回同定した領域の多くが、機能的にも真の原因となるSNPであると推定されます。

注2)Flanagan J, Tomizuka K, Liu X, Matoba N, Akiyama M, Ishigaki K, et al. Population-specific reference panel improves imputation quality and enhances locus discovery and fine-mapping (Manuscript in submission). 2020.

注3)Koido M, Hon C-C, Koyama S, Kawaji H, Murakawa Y, Ishigaki K, et al. Predicting cell- type-specific non-coding RNA transcription from genome sequence. bioRxiv 2020:2020.03.29.011205.

今後の期待

今回の研究では、鼠径ヘルニアの疾患感受性領域を同定しました。また、異なる人種間で共有された遺伝子構造とエラスチンの重要な役割を明らかにし、鼠径ヘルニアの病態に関わる各組織との多遺伝子的な背景を示しました。

今後、鼠径ヘルニア発症との関連が明らかになった遺伝子変異・各組織を介した発症メカニズムを解明することで、鼠径ヘルニアに対する新しい治療法や予防法の開発に貢献できるものと期待できます。

論文情報
タイトル
Susceptibility loci and polygenic architecture highlight population specific and common genetic features in inguinal hernias: genetics in inguinal hernias
著者名
Keiko Hikino, Masaru Koido, Kohei Tomizuka, Xiaoxi Liu, Yukihide Momozawa, Takayuki Morisaki, Yoshinori Murakami, The Biobank Japan Project, Taisei Mushiroda, Chikashi Terao
雑誌
EbioMedicine
DOI
10.1016/j.ebiom.2021.103532
補足説明
[1] ゲノムワイド関連解析(GWAS)、SNP
一つの遺伝的座位に、二つかそれ以上の頻度の高い異なるアレルが存在する状態のことを遺伝的多型という。一つの塩基が他の塩基に変わる多型を、SNP(一塩基多型)と呼ぶ。SNPはSingle Nucleotide Polymorphismの略。ゲノムワイド関連解析は形質に対する遺伝的関連を知るための手法であり、SNPを用いて解析するものが一般的である。形質(疾患のある/なしや量的形質)を目的変数、SNPの量的情報や各種共変量を説明変数にしてモデル化し、SNPの関連を評価する。GWASはGenome-Wide Association Studyの略。
[2] メタ解析
二つ以上の統計解析の結果を合わせる際に、それぞれの解析結果でばらつきがある面を統計学的に排除し、偏りのない合算をする統計学的手法。
[3] バイオバンク・ジャパン(BBJ)
日本人集団27万人を対象とした生体試料のバイオバンクで、東京大学医科学研究所内に設置されている。理化学研究所が実験により取得した約20万人のゲノムデータを保有する。オーダーメイド医療の実現プログラムを通じて実施され、ゲノムDNAや血清サンプルを臨床情報とともに収集し、研究者へのデータ提供や分譲を行っている。詳細はバイオバンク・ジャパンのウェブサイト(https://biobankjp.org/index.html)を参照。
[4] UKバイオバンク(UKB)
英国で構築されているバイオバンクであり、50万人規模の疾患罹患情報、臨床情報、遺伝情報などから構成される。
[5] エラスチン
弾性線維のこと。主にコラーゲン線維を支えるタンパク質。。
[6] レアバリアント
ヒトのDNA配列は30億塩基対からなるが、その配列の個人間の違いを遺伝子バリアントと呼ぶが、そのうち、集団内での頻度が1%以下であるバリアントのこと。
[7] リファレンスパネル
全ゲノム領域の遺伝子多型の遺伝子型を推測する(imputation)際に用いる、DNA全ゲノムシーケンスデータを基にした配列のこと。。
[8] インピュテーション法
DNAマイクロアレイで一部の遺伝子多型を測定した後に、そこで得られた遺伝型を用いて実験的には測定していない遺伝的変異を推定し、補完する遺伝統計学的手法。参照配列として、1000ゲノムプロジェクトで解明された配列が世界的に用いられているが、今回は日本人の全ゲノムシークエンスデータの参照配列を用いた。
[9] ゲノムワイド有意水準
GWASでは通常の有意水準である0.05を100万で割り、5.0×10-8未満という厳しい判定基準を採用し、間違って有意であるという判定をしないように設定した独自の水準。
[10] まれな結合組織病
皮膚弛緩症。弾力性のない皮膚を持ち、内臓病変も合併し得る。
[11] 遺伝的寄与率(SNP heritability)
環境要因と遺伝要因の割合。大きいほど遺伝要因から受ける影響が大きいことを示す。
[12] パスウェイ解析
シグナル伝達系、遺伝子の制御関係、代謝経路、タンパク質間相互作用などの情報をもとにグループ化された遺伝子やタンパク質の集合のことをパスウェイと呼ぶ。パスウェイ解析は、過去に分類されたパスウェイごとの遺伝子が疾患に関連があるかどうかを解析する手法。
[13] Heritability enrichment解析
細胞や組織におけるエピゲノム情報を活用し、疾患と相関関係のある組織および細胞種を特定する手法。
[14] トランスクリプトームワイド関連解析(TWAS)
多型によって規定される遺伝子発現を全ゲノム領域において予想し、それらが疾患の発症と関連があるかどうかを解析する手法。TWASはTranscriptome-Wide Association Studyの略。
[15] 機械学習
データをコンピュータに入力し、その中にある規則性を発見させることで、未知のデータに対する解答を得る手法。
[16] 遺伝子発現とSNPの関連解析(eQTL)
SNPと遺伝子発現量の関連解析によって、遺伝子発現に関わるゲノム領域を特定する。eQTLは、expression Quantitative Trait Locusの略。
[17] 転写制御領域、プロモーター
転写制御領域は、ゲノム配列上の、転写(遺伝子の発現)を制御する機能を持つ領域。プロモーターはその一つで、遺伝子の転写開始点の近くで遺伝子発現を制御する。
[18] Gene Set Enrichment解析
GWASの結果に基づいて、遺伝子にスコアを付け、スコアが高い遺伝子が特定の機能を持った遺伝子に集積しているか調べる解析手法。
[19] 細胞外マトリックス
組織中の細胞と細胞の間に存在する糖とタンパク質の複合体のこと。
発表者・機関窓口

発表者
理化学研究所 生命医科学研究センター
ゲノム解析応用研究チーム
チームリーダー 寺尾 知可史(てらお ちかし)
(静岡県立総合病院 免疫研究部長、静岡県立大学 特任教授)
ファーマコゲノミクス研究チーム
特別研究員 曳野 圭子(ひきの けいこ)
チームリーダー 莚田 泰誠(むしろだ たいせい)

東京大学 医科学研究所 人癌病因遺伝子分野
教授 村上 善則(むらかみ よしのり)

機関窓口
理化学研究所 広報室 報道担当
東京大学医科学研究所 国際学術連携室(広報)
静岡県立総合病院 総務課

AMED事業に関すること
日本医療研究開発機構 ゲノム・データ基盤事業部 ゲノム医療基盤研究開発課

医療・健康
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