心と体をつなぐ心身相関の仕組みを解明~ストレス関連疾患の新たな治療戦略へ~

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2020-03-06    名古屋大学,日本医療研究開発機構

名古屋大学大学院医学系研究科統合生理学の片岡直也特任助教と中村和弘教授の研究グループは、脳の中で心理や情動を処理する「心」の領域と「体」を調節する領域とをつなぐ「心身相関」の神経伝達路を発見しました。

心理ストレスや情動が体の調節に影響を与え、さまざまな身体反応が生じる「心身相関」は広く知られています。しかし、脳の中で、ストレスや情動といった「心」の信号がどのようにして「体」を調節する仕組みに作用するのかは大きな謎でした。

研究グループは、ラットを使った実験によって、心理ストレスや情動を処理する大脳皮質の中のDP/DTT(背側脚皮質/背側蓋紐)(注1)と呼ばれる領域から、生体調節に重要な交感神経系(注2)を制御する視床下部へストレス信号を伝達する神経路を発見しました。遺伝子技術を使って、この神経路を破壊あるいは光で抑制すると、通常は社会心理ストレスによって生じる体温、脈拍、血圧の上昇が起こらなくなりました。さらに、ストレス源(ストレッサー)から逃避する行動も消失しました。

こうした実験結果から、この神経路は大脳皮質の心理ストレスの信号を視床下部へ伝えることにより多様なストレス反応を駆動する、心身相関の重要な神経伝達路であることが明らかになりました。

本研究成果は、パニック障害(注3)、心的外傷後ストレス障害(PTSD)(注4)、心因性発熱(注5)などのストレス関連疾患の画期的治療法の開発に有用であると考えられます。

本研究成果は、2020年3月6日付け 米国の科学誌「Science」(電子版)に掲載されます。

本研究は、日本学術振興会科学研究費助成事業(新学術領域「温度生物学」、新学術領域「共感性」、若手研究(A、B)、基盤研究(B、C))、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)さきがけ、国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)老化メカニズムの解明・制御プロジェクト、内閣府 最先端・次世代研究開発支援プログラム、武田科学振興財団、中島記念国際交流財団、上原記念生命科学財団、小野医学研究財団、ブレインサイエンス振興財団、興和生命科学振興財団及び加藤記念バイオサイエンス振興財団の支援を受けて実施されました。

ポイント
  • 脳の中で心理や情動を処理する大脳皮質から体を調節する視床下部へストレス信号を伝達する、心身相関の神経伝達路を発見しました。
  • ラットの実験において、この神経伝達路を破壊あるいは抑制すると、社会心理ストレスによる体温、脈拍、血圧の上昇反応とストレス源から逃避する行動が、いずれも起こらなくなりました。
  • この神経伝達路は、パニック障害や心因性発熱などのストレス関連疾患の治療法の開発において標的となる経路として有望であると考えられます。
背景

心理ストレスや喜怒哀楽といった情動が体の調節に影響を与え、さまざまな身体反応が生じる現象は「心身相関」と呼ばれ、私達が日常生活の中で経験することです。例えば、心理ストレスを受けると、交感神経系の活動が活発になるため、心臓の拍動が速くなるとともに、血圧や体温も上昇します。このような心身相関による生理反応は、その強さとタイミングが適切であれば生命活動に有益です。しかし、「病は気から」と言われるように、心身相関が引き金で疾患が起こる場合があります。例えば、強い心理ストレスを受けると、高体温の状態が続く心因性発熱が起こりますが、これは解熱剤が効かないことから治療が困難なストレス関連疾患とされています。また、心理ストレスや不安などが引き金となってさまざまな発作が起こるパニック障害も、ストレスや情動が交感神経系を強く活性化する心身相関によって発症する疾患です。したがって、心身相関に関わる脳の神経メカニズムを解明できれば、こうしたストレス関連疾患の治療法の開発に大きく貢献できると考えられます。

また、強いストレスを長期間受けるとさまざまな臓器の老化が促進されると考えられていますが、ストレスと老化の関係や老化促進の仕組みについてはまだ科学的に解明されていません。心身相関の仕組みが解明されれば、ストレスと老化の関係についての研究が加速すると考えられます。

これまで、心身相関は、脳の視床下部の中にある交感神経系を調節する領域が活性化することによって起こると考えられてきましたが、実際に脳の中で、心理ストレスや情動といった「心」の信号がどのようにして視床下部の領域を活性化するのかは長年の大きな謎でした。

研究成果

研究グループは、ラットを使って、視床下部の中で交感神経系を調節する視床下部背内側部(ししょうかぶはいないそくぶ)(注6)という領域へ心理ストレスの信号を入力する神経伝達路を探索しました。その結果、ストレスや情動の信号処理を行うことが知られている大脳皮質の内側前頭前皮質の中で機能が不明であったDP/DTT[dorsal peduncular cortex/dorsal tenia tecta:背側脚皮質(はいそくきゃくひしつ)/背側蓋紐(はいそくがいちゅう)]と呼ばれる領域から視床下部背内側部へ神経伝達路があり、心理ストレスを受けた時にはこの伝達路を通じたストレス信号の伝達が行われ、交感神経系が活性化することを発見しました。

遺伝子技術を使ってDP/DTTから視床下部背内側部へ至る神経伝達路を選択的に破壊したラットに社会心理ストレス(社会的敗北ストレス(注7))を与えると、通常のラットでは生じる褐色脂肪組織での熱の産生と体温の上昇が起こらなくなりました(図1A、B)。一方で、この神経伝達路を破壊しても平常の体温調節には影響がありませんでした。したがって、DP/DTTから視床下部背内側部への神経伝達路は平常の生体調節には関与しませんが、ストレス反応を起こす信号の伝達に必要であることが分かりました。

また、光遺伝学の技術(注8)を用いて、DP/DTTから視床下部背内側部へ至る神経伝達路を選択的に光で抑制すると、通常は社会心理ストレスによって起こる脈拍、血圧、体温の上昇が強く抑制されました(図1C、D)。さらに、通常、動物は自分を攻撃した個体(ストレス源)から遠ざかる逃避行動を示しますが、興味深いことに、この神経伝達路を光で抑制されたラットは、ストレス源の個体から遠ざかることなく、積極的に交流する行動を示しました(図2)。こうした実験結果は、DP/DTTから視床下部背内側部へのストレス信号伝達が、交感神経反応(熱産生、体温、脈拍、血圧の上昇)だけでなく、ストレス源からの逃避行動の発現をも駆動することを示すものです。

心と体をつなぐ心身相関の仕組みを解明~ストレス関連疾患の新たな治療戦略へ~

図1 DP/DTTから視床下部背内側部への神経伝達路を破壊・抑制するとストレス反応が消失する
A, B:
DP/DTTから視床下部背内側部へ伝達する神経細胞群(黒色の粒子)の選択的破壊(A)。
対照ラット(左)に比べて、破壊ラット(右)では矢尻の部分の神経細胞群が消失している。スケールバーは500 μm。
(B)これらのラットが社会的敗北ストレス(灰色の時間)を受けると、対照ラット(緑)では褐色脂肪組織で熱が産生され(上)、深部体温が上昇したが(下)、DP/DTTから視床下部背内側部への神経細胞群を破壊したラット(橙)ではどちらの反応も起こらなかった。
C, D:
DP/DTTから視床下部背内側部(DMH)へ伝達する神経細胞群に選択的に光感受性イオンチャネルを発現させ、その神経活動を光で抑制する実験(C)。
10分間の光照射によってDP/DTTから視床下部背内側部への神経細胞群を選択的に抑制すると、社会的敗北ストレスによる脈拍の上昇が強く抑制された(D)。

図2 DP/DTTから視床下部背内側部への神経伝達路を抑制するとストレス源からの逃避行動が消失する社会的敗北ストレスを受けたテストラットを図のようなフィールドに入れて慣らした後、社会的敗北ストレスの時にテストラットを攻撃したストレス源のラット(白黒のラット)をかごに入れて置くと(フィールド中央上部)、対照ラットはフィールドの隅へ逃避したが(左)、光照射によってDP/DTTから視床下部背内側部への神経細胞群を選択的に抑制すると(右)積極的にストレス源のラットと交流した。テストラットの頭部の動きを軌跡で表す。


加えて、DP/DTTは、情動を処理する前脳の複数の領域からストレス信号を受け取ることも分かりました。こうしたことから、心理ストレスや情動の信号がDP/DTTで統合され、交感神経制御の領域である視床下部背内側部へ心身相関の信号として送られることにより、多様な身体反応が発現するものと考えられます(図3)。

図3

本研究で明らかになった心身相関の神経回路脳には心理・情動を処理する大脳皮質や辺縁系からなる「心」の神経回路と、自律神経系(交感神経系)を制御する視床下部を中心とした「体」を調節する神経回路が存在するが、その2つの神経回路をつなぐ仕組みは不明であった。本研究では、大脳皮質や辺縁系で処理されたストレスや情動の信号をDP/DTTで統合し、視床下部へ伝達することで「心」と「体」をつなぐ、心身相関の神経伝達路(赤)を明らかにした。

今後の展開

本研究では、「心」の信号を「体」を調節する神経系へ伝達することで心身相関を実現する、脳の重要な神経伝達路を発見しました。今後、この神経伝達路を遡って脳の「心」の領域の仕組みを調べることで、私達が「ストレス」や「情動」と呼ぶものを科学的に明らかにするとともに、「病は気から」ということわざに表される現象の基本原理を解明したいと考えています。そして、この神経路がパニック障害、心的外傷後ストレス障害(PTSD)、心因性発熱などの発症にどのように関わるのかを明らかにすることによって、こうしたストレス関連疾患を根本的に治療できる画期的な治療法の開発に貢献します。特に、DP/DTTはストレス反応の発現に機能しますが、平常の生体調節には機能しないことから、DP/DTTを標的とする治療法の開発によって副作用の少ないストレス関連疾患の治療が実現できるものと考えられます。また、この研究成果はストレスと老化の関係を科学的に解明することにも役立つことが期待されます。

用語説明
(注1)DP/DTT(背側脚皮質/背側蓋紐)
大脳皮質の前頭葉の正中部にある内側前頭前皮質の中で最も腹側部(最深部)に位置する脳領域。DP/DTTの機能については研究がほとんどなされておらず、本研究で初めて機能が明らかとなった。英語名称ではdorsal peduncular cortex(DP)とdorsal tenia tecta(DTT)の2つの領域に分かれており(図1A参照)、日本語名称はまだ確立していないため、本研究グループが英語名称をもとに日本語名を暫定的に命名した。
(注2)交感神経系
体内の臓器や器官を調節する自律神経系を構成する神経系の一つ。特に覚醒時、活動する際などに、身体機能を高めるための指令を脳からさまざまな臓器や器官へ伝達する役割を担う。脳の視床下部(視床下部背内側部)と延髄ならびに脊髄には、交感神経系の活動を活発にする(活性化する)指令を伝達する神経細胞群が存在する。交感神経系が活性化すると、褐色脂肪組織などでの熱の産生が増えるために体温が上昇する。また、心臓では拍動が速くなりポンプ機能が促進されるとともに、血管が収縮することにより血圧が上昇する。このような反応によって体を温め、骨格筋や神経系への酸素と栄養素の供給を増やすことによって身体パフォーマンスを高める作用がある。一方、自律神経系の中でも副交感神経系は睡眠中などに活性化し、体を休息させるための脳からの指令を臓器や器官へ伝達する。
(注3)パニック障害
不安障害に分類される精神医学的障害の一種。予期せず突然、激しい不安を感じるとともに動悸、頻脈、発汗、ふるえ、呼吸困難、めまいなどの身体症状を伴うパニック発作に襲われる。パニック発作が反復することにより、パニック発作が起こることに恐怖を感じ、また発作が起きるのではないかと不安を募らせる予期不安が生じることによって、症状が慢性化することが多い。心理ストレスが最初の発作の一つの原因になると考えられている。
(注4)心的外傷後ストレス障害(PTSD)
ストレス障害に分類される精神医学的障害の一種。災害、事故、虐待、戦争などによって強烈な精神的衝撃や心理ストレスを受けたことによる心的外傷(トラウマ)が原因で、長期間(1ヶ月以上)にわたって、生活に支障を来すような著しい苦痛をもたらすストレス障害である。患者は障害の原因となった出来事を意思に反して頻繁に思い出し(フラッシュバック)、まるで自分が現場にいるかのように反応することもある。記憶がよみがえる際には、精神的な苦痛やさまざまな身体症状を伴うのが一般的である。
(注5)心因性発熱
急性もしくは慢性的な心理ストレスが原因で体温が上昇し、平熱を上回る高体温となる症状。慢性的なストレスが原因の場合、症状が何ヶ月も続く場合がある。熱を作るためのエネルギーを多く消費するため、著しい疲労感を伴うことが多い。感染によって起こる発熱とは異なり、解熱剤が効かないため、治療が困難なストレス関連疾患とされる。
(注6)視床下部背内側部
脳の視床下部の正中部にある第3脳室の背側半分の左右近傍に一対存在する脳領域。多くの生体調節機能やストレス反応の発現に関わることが知られているが、特に、交感神経系を活性化する働きを持つ神経細胞群が多数存在することがよく知られている。これらの神経細胞群は心理ストレスによって活動が活発になり、交感神経系を活性化する信号を延髄へ送り出すことを本研究グループが2014年に報告した。
(注7)社会的敗北ストレス
動物を用いた社会心理ストレスの実験モデルの一つ。本研究では、雄のWistarラット(テストラット)を攻撃性の高い雄のLong-Evansラットのいるケージに入れ、WistarラットがLong-Evansラットから威嚇や攻撃を受けることによって生じるストレス反応や行動を解析した。Wistarラットが数回威嚇や軽い攻撃を受けた時点で両者を金網で仕切るため、ラットが怪我をすることはない。人間関係のストレスを模倣したストレスモデルとして広く実験に用いられる。
(注8)光遺伝学の技術
特定の神経細胞群の活動を操作する実験技術の一つ。遺伝子技術を用いて特定の神経細胞群に光感受性イオンチャネルを発現させ、光ファイバーを脳内へ刺入して光照射することにより、その神経細胞群の活動を選択的に活性化あるいは抑制することが可能になる。図1C、Dの実験では、ウイルスによる遺伝子導入法を用いて、DP/DTTから視床下部背内側部へ伝達する神経細胞群に選択的に光感受性塩素イオンチャネル(iChloC)を発現させ、視床下部背内側部に伸びた軸索終末へ光照射した(iChloCは軸索終末まで運ばれる)。この方法により、DP/DTTから視床下部背内側部への神経伝達を選択的に抑制した。
発表雑誌
掲雑誌名:
Science(3月6日付の電子版)
論文タイトル:
A central master driver of psychosocial stress responses in the rat
著者:
Naoya Kataoka, Yuta Shima, Keisuke Nakajima, Kazuhiro Nakamura
所属:
Department of Integrative Physiology, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya 466-8550, Japan
DOI:
10.1126/science.aaz4639
お問い合わせ先
研究について

名古屋大学大学院医学系研究科
統合生理学 教授 中村 和弘

広報担当

名古屋大学医学部・医学系研究科総務課総務係

AMED事業(老化メカニズムの解明・制御プロジェクト)について

国立研究開発法人日本医療研究開発機構
基盤研究事業部 研究企画課

医療・健康生物化学工学
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