危険を冒して子を助ける親の脳~子育てに必須の脳内分子神経回路を同定~

ad
ad

子育て中に活性化する細胞の全てが、子育てに必要とは限りません。そこで、Calcr神経細胞の子育て行動における機能を調べるため、組換えアデノ随伴ウイルスベクター[6]に組み込まれたテタヌストキシン(TeTX)[7]を用いて、cMPOAのCalcr神経細胞が神経伝達できないように細胞機能を操作しました。すると、母親になる前、また母親になった後でも、授乳や子を運ぶ行動などが激減し、ストレスがほとんどない環境でも子育てができなくなってしまいました(図2)。一方で、交尾や出産など、他の行動には問題が見られなかったことから、Calcr神経細胞には子育てに必須な機能を持つことが細胞レベルで明らかになりました。


図2 Calcr神経細胞は子育てに必須低ストレス(通常飼育)環境下であっても、テタヌストキシン(TeXT)を発現させることで神経伝達を抑制し、cMPOAのCalcr神経細胞の機能を抑えたマウス(TeXT+)では、仔の生存率が20%以下になり(左)、仔集めにかかった時間も著しく増大した(右)。各群N≧6, *P<0.05, **P<0.01, ***P<0.001。


Calcrを発現する神経細胞が子育てに重要であることは分かりましたが、その細胞全体の中で、Calcrという一種類の分子が実際の子育てにどのように影響するのかは分かりません。そこで、Calcr神経細胞の中で、Calcr分子がどのような機能を持っているのかを分子レベルで明らかにするために、Calcrの発現をRNA干渉[8]という手法により、約半分に減らしました。すると、ホームケージ内での子育ては正常だったものの、高架式十字迷路上のレトリービング行動は抑制されることが分かりました(図3)。従って、母親になると増えるCalcrは、リスクを冒してでも子育て意欲を維持する「母性」の一端を担っていることが明らかになりました。


図3 Calcr分子の量を減らしたマウスの高リスク環境における子の救出の抑制RNA干渉によりCalcr神経細胞の中のCalcr分子の量を約半分に減らすと、高リスク環境である高架式十字迷路上で仔集めにかかった時間が増加した。各群N≧14, * P<0.05。

今後の期待

現代社会に生きるヒトにとっても、子育てと親子関係は非常に重要なものです。親子間の関係づくりがうまくいかないと、子どもへの虐待にまで発展してしまうこともあります。子育て行動は哺乳類で種を超えて保存されており、そうした行動がある以上、そこには脳内メカニズムが必要です。

cMPOAのある脳領域は大脳皮質などと比べ、ヒトとほかの哺乳類との差が小さく、解剖学的にかなりよく似ています。また黒田公美チームリーダーらはこれまでに、哺乳動物において子育てができなくなる背景要因を進化生物学と行動神経科学の視点から整理した枠組みを作り、またその枠組みがヒトにも適用できることを報告してきました注2-3)。それらから、子育ての基本的な脳内メカニズムも、ヒトと他の哺乳動物に共通している可能性が高いといえます。

ただし、マウスcMPOAのようにヒトcMPOAにもCalcr神経細胞が存在し、マウスと同じようにヒトでも子育てに重要な役割を果たしているのか、直接答えることは、現時点では困難です。これを明らかにするためには、まずヒト以外の霊長類(サルの仲間)で調べることが役立ちます。

現在共同研究グループでは、霊長類のコモン・マーモセット[9]を用いて、その疑問に答えるべく、研究を行っています。霊長類でもほとんどの種は、母親だけが子育てをしますが、マーモセットは母親、父親、年上のきょうだいからなる家族が交代で子を背負って運びながら分担して子育てをするという、ヒトに似た行動を取ります。もし、マーモセットでもCalcr神経細胞の子育てに対する機能がマウスと共通することが細胞レベルと分子レベルで分かれば、今回の発見を将来的にヒトに応用できる期待が高まります。そして、より複雑な認知機能を持つ霊長類において、子育てにまつわる問題の脳内メカニズムを明らかにできると考えられます。

注2)Kuroda KO, Shiraishi Y, Shinozuka K: “Evolutionary-adaptive and nonadaptive causes of infant attack/desertion in mammals: Toward a systematic classification of child maltreatment”, Psychiatry Clin. Neurosci., 74(10), 516-526(2020)

注3)黒田公美、白石優子、篠塚一貴、時田賢一「子ども虐待はなぜ起こるのか―親子関係の脳科学」こころの科学2016,7月増刊号,16-24

論文情報
タイトル
Calcitonin receptor signaling in the medial preoptic area enables risk-taking maternal care
著者名
Yoshihara, C., K. Tokita, T. Maruyama, M. Kaneko, T. Tsuneoka, K. Fukumitsu, E. Miyazawa, K. Shinozuka, A.J. Huang, T.J. McHugh, M. Tanaka, S. Itohara, K. Touhara, K. Miyamichi, and K.O. Kuroda.
雑誌
Cell Reports
DOI
10.1016/j.celrep.2021.109204
補足説明
[1]内側視索前野中央部(cMPOA)
前脳底部、視床下部前方にある視索前野の中の小領域。この部分の機能を阻害すると、特異的に子育てができなくなる。マウスのほか、サルにも同じ領域が存在する。cMPOAは、Medial preoptic area, the central partの略。
[2]カルシトニン受容体(Calcr)
カルシトニン受容体は骨ではカルシトニンと結合し、骨へのカルシウム沈着を促進する。脳にもCalcrがあり、後脳ではアミリンと結合して食欲を抑える機能がある。本研究では、CalcrがcMPOAにおいては子育てを促進する機能を報告した。同じ分子がこのように多様な目的で利用されていることは一見不思議だが、ほかにもそのような分子は多く存在する。例えば、オレキシンは食欲と睡眠の両方に強い調節力がある。Calcrは、calcitonin receptorの略。
[3]アミリン
膵臓や脳内で産生され、Calcrに結合するペプチドリガンド。
[4]向社会行動
同種の他個体に対する行動、すなわち社会行動には大きく分けて、縄張り争いのように反発し合うものと、群れでの狩りや共同営巣のように協力し合う性質のものがあり、後者をここでは向社会行動と呼ぶ。
[5]高架式十字迷路
十字型の細い通路(幅5~6㎝)が地面から40㎝の高さに水平に置かれている。通路のうち1本には左右に透明な壁があり、落ちる心配はない(クローズドアーム)が、他の3本には壁がない(オープンアーム)。マウスはオープンアームに出ることを好まず、不安が強いほど、クローズドアームに留まる。本研究ではまず被験マウスだけをこの迷路に置き、10分間行動を観察した後、3本のオープンアームの端に仔マウスを置き、被験マウスが仔に対しどのように行動するかを30分間観察した。
[6]組換えアデノ随伴ウイルスベクター
アデノ随伴ウイルスはパルボウイルス科の一本鎖DNAウイルスで、病原性がないなどの性質から、遺伝子治療や生物学実験で人工的に細胞に遺伝子を挿入したいときによく用いられる。その目的でアデノウイルスを組み替えて使うとき、「組換えアデノ随伴ウイルスベクター」と呼ぶ。
[7]テタヌストキシン(TeTX)
破傷風菌が産生するタンパク質毒素で、神経伝達物質の分泌を抑制する作用がある。そのため、脳科学実験では、神経細胞の神経伝達を抑える目的でしばしば用いられる。
[8]RNA干渉
遺伝子発現の際に作られるメッセンジャーRNA(mRNA)は、相補的な塩基配列があると分解される性質がある。これを利用し、標的遺伝子の配列と相補的なRNAを人工的に細胞内に導入し、標的遺伝子の発現を抑制する手法。本研究では、アデノ随伴ウイルスに標的遺伝子であるCalcrと相補的な配列shRNAを組み込み、cMPOA神経細胞に感染させることで、Calcrの発現を約半分に抑制した。
[9]コモン・マーモセット
中南米を原産とする、小型の新世界ザル。夫婦と子どもたちで生活し、分担して新生児の世話をしたり、多彩な音声コミュニケーションを行うなど、高い社会性が注目されている霊長類。
お問い合わせ先

発表者
理化学研究所 脳神経科学研究センター 親和性社会行動研究チーム
チームリーダー 黒田 公美(くろだ くみ)
研究員 吉原 千尋(よしはら ちひろ)

タイトルとURLをコピーしました