細胞外乳酸バイオセンサーの開発

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2021-12-06 東京大学

那須 雄介(化学専攻 助教)
上條 由貴(化学専攻 学術専門職員)
Robert E. Campbell(化学専攻 教授)

発表のポイント

  • 細胞外の乳酸(注1) を緑色蛍光で低侵襲(注2) に可視化するバイオセンサー(注3) eLACCO1.1を開発した。
  • 本バイオセンサーの開発により、細胞の外側に分布する乳酸の動態を低侵襲で可視化することに初めて成功した。
  • 本バイオセンサーは、細胞間の乳酸のやりとりが脳内などの体内組織で果たす役割の解明に寄与することが期待される。

発表概要

乳酸はこれまで長い間、糖代謝による体内エネルギー産生の際の老廃物と考えられてきました。しかし近年、乳酸が細胞間でやりとりされてエネルギー物質として再利用されているのではないか、という説が提唱されています。この説を詳細に検証するためには、細胞間(つまり細胞外)の乳酸の動態を、低侵襲に観察する必要があります。しかし、これまでにそれを可能とする方法がありませんでした。

東京大学大学院理学系研究科の那須雄介助教、上條由貴技術専門職員及びRobert E. Campbell教授らは、緑色蛍光タンパク質(GFP(注4) )及びタンパク質工学の手法を用いることで、細胞外の乳酸動態を緑色蛍光で低侵襲に可視化可能なバイオセンサーeLACCO1.1を世界に先駆けて開発しました。

脳内の神経細胞は、血流からのグルコースではなく、隣接する他細胞(星状細胞)から乳酸を受け取ってその乳酸を主なエネルギー源としているという説(乳酸シャトル)が脳科学分野のホットトピックのひとつとなっています。eLACCO1.1は乳酸シャトルの検証を可能にする強力なツールとなり、脳科学の大きな謎の解明に寄与することが期待されます。

本研究成果は、英科学誌「Nature Communications」に掲載されました。

発表内容

本研究の背景
我々ヒトを含む多細胞生物は、食物など外部から得られたエネルギーを細胞間で伝達することで各細胞(筋細胞、神経細胞 etc.)の活動に必要なエネルギーを供給し、細胞の集合体である個体としての活動を維持しています。これまで長い間、グルコースが主要な細胞間伝達エネルギー物質であり、乳酸はグルコースの単なる代謝副産物と考えられてきました。このような乳酸に対するネガティブな見方は、乳酸と疲労の相関というスポーツ科学における古典的知見に起因することも大きく、未だに一般社会に多く見られます。しかし近年、この乳酸が細胞間でやりとりされてエネルギー物質として再利用されているのではないかという説が提唱され、乳酸の役割が見直されつつあります。この細胞間でやりとりされる乳酸の新たな役割を検証するためには、細胞外の乳酸動態を観察する必要があります。これまで細胞外の乳酸は電極を用いて電気的に測定されていましたが、この方法は細胞間乳酸伝達を可視化するには空間分解能が不十分で、どの細胞の周辺で乳酸濃度変化が起きているのか調べることができませんでした。さらに生体に電極を差し込むため非常に侵襲的で、生体ダメージによる乳酸動態への影響が大きな懸念となっていました。

本研究の成果
東京大学大学院理学系研究科の那須助教、上條技術専門職員及びCampbell教授らは、緑色蛍光タンパク質(GFP)と乳酸結合タンパク質TTHA0766(注5) を融合し、タンパク質工学による多くの改変を施すことで、乳酸依存的にその蛍光強度を変化させるバイオセンサーeLACCO1.1(extracellular lactate indicator version 1.1)を開発することに成功しました(図1)。eLACCO1.1は遺伝子として生体試料に導入することが可能であり、低侵襲かつ高空間分解能で生体試料の乳酸観察を行うことが可能です(図2)。さらにアルバータ大学のYurong Wen及びShuce Zhangらと共に、eLACCO1(eLACCO1.1の変異体)のX線結晶構造を明らかにしました(図3)。東京大学のグループはこの結晶構造及びさまざまな変異体解析によって、本バイオセンサーの分子メカニズムを提唱しました。

細胞外乳酸バイオセンサーの開発

図1:(上)細胞外乳酸センサーeLACCO1.1の模式図。TTHA0766タンパク質への乳酸結合に伴う立体構造変化をGFPの蛍光強度変化へと変換する。(下)eLACCO1.1を模したイラスト(designed by alumna Mina Yamane)。栄養源である乳酸(貝)を捕捉するラッコの様子を示す。

図2:さまざまな生体試料におけるeLACCO1.1蛍光画像。細胞外乳酸ありの状態では、細胞外乳酸なしの状態に比べて蛍光強度が高くなっている。電極挿入などの侵襲的な操作なく、細胞レベルの空間分解能で細胞外乳酸の観察が可能である。

図3:(左)乳酸結合状態におけるeLACCO1のX線結晶構造(PDB 7E9Y)。球体は乳酸分子とカルシウムイオン(黒)を示している。(右)GFP蛍光団付近の拡大図。乳酸が結合していない状態では439番目のアスパラギン酸残基(Asp439)のカルボキシ基側鎖が蛍光団と相互作用(水素結合)することで非蛍光状態を安定化する。一方、乳酸結合に伴うTTHA0766の立体構造変化は、142番目のアルギニン残基(Arg142)の側鎖とAsp439との相互作用(塩橋)によるAsp439と蛍光団の相互作用の解消を引き起こす。代わりに195番目のヒスチジン残基(His195)の側鎖が蛍光団と相互作用することで蛍光団を蛍光状態に安定化する。

今後の展望
脳内の神経細胞(ニューロン)は、隣接する他の細胞(星状細胞、アストロサイト)から細胞外空間を通じて受け取った乳酸を主なエネルギー源としているという説(乳酸シャトル)が脳科学分野のホットトピックのひとつとなっています。この説は、神経細胞が血流のグルコースを主要なエネルギー源として利用しているという従来の常識を覆すものです。乳酸シャトルの検証を可能にする強力なツールであるeLACCO1.1は脳科学の大きな謎の解明に寄与し、グルコースを中心とした代謝学の教科書の常識を書き換える端緒となることが期待されます。

謝辞

本研究は、日本学術振興会における科学研究費助成事業の若手研究「乳酸による細胞間エネルギー伝達を可視化する高感度蛍光乳酸センサーの開発」(課題番号:19K15691 研究代表者:那須 雄介)および基盤研究(S)「Directed Evolution of a Palette of Optogenetic and Chemi-Optogenetic Indicators for Multiplexed Imaging of Cellular Metabolism」(課題番号:19H05633 研究代表者:Robert E. Campbell)の一環で行われました。また本研究は、アルバータ大学、カルガリー大学、モンタナ州立大学、ハワードヒューズ医学研究所、ラーバル大学との共同で行われました。

発表雑誌
雑誌名
Nature Communications論文タイトル
A genetically encoded fluorescent biosensor for extracellular L-lactate著者
Yusuke Nasu, Ciaran Murphy-Royal, Yurong Wen, Jordan Haidey, Rosana S. Molina, Abhi Aggarwal, Shuce Zhang, Yuki Kamijo, Marie-Eve Paquet, Kaspar Podgorski, Mikhail Drobizhev, Jaideep S. Bains, M. Joanne Lemieux, Grant R. Gordon, Robert E. Campbell*DOI番号
10.1038/s41467-021-27332-2

アブストラクトURL

用語解説

注1 乳酸(lactate)
1780年、スウェーデンの化学者Carl Wilhelm Scheeleがサワーミルクから発見した有機化合物。一般的には、動物の疲労した筋肉や乳酸菌から多く産生する化合物として有名。

注2 低侵襲
対象である生体試料へのダメージが低いこと。例えばヒトの体を検査する場合、皮膚に穴が開き出血を伴う血液採取よりも触診の方が低侵襲である。

注3 バイオセンサー
生体がもつ分子識別機能を利用して化学物質を計測するデバイス。本研究の場合、TTHA0766という菌由来のタンパク質が乳酸を認識することを利用している。

注4 緑色蛍光タンパク質(GFP)
1962年、下村脩博士(2008年ノーベル化学賞受賞)が米ワシントン州フライデーハーバーに生息するオワンクラゲから単離した緑色蛍光を示すタンパク質。樽状のタンパク質の内部に蛍光団を有し、青色光を照射すると緑色光を蛍光として発する。

注5 乳酸結合タンパク質TTHA0766
1968年、大島泰郎博士は伊豆の峰温泉から高度好熱菌Thermus thermophilisを採取した。TTHA0766はこの菌が有している乳酸へ結合することができるタンパク質。

有機化学・薬学
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