タンパク質の折り畳みにおける水の流れの役割

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2024-03-29 東京大学

発表のポイント
  • ほとんどのタンパク質は水溶性であり、生物学的な機能を発揮するためには水溶液中に存在する必要がある。しかし、タンパク質の折り畳みにおける水の流れの役割は未解明であった。
  • シミュレーションを通じて、タンパク質の折り畳みの過程で誘発される水の流れが、タンパク質の折り畳みのダイナミクスを大幅に加速させ、また、正しい折り畳みを阻害するアミノ酸間の接触を防ぐことを明らかにした。
  • これにより、生体高分子の折り畳み現象を正確に理解するためには、アミノ酸間の相互作用のみならず、流体の流れの効果を考慮することが必要であることが示された。
発表概要

東京大学先端科学技術研究センター高機能材料分野の田中肇シニアプログラムアドバイザー(特任研究員/東京大学名誉教授)とユアン ジャアシン特任研究員の研究グループは、タンパク質の折り畳み過程において水の流れが果たす重要な役割を明らかにしました。
これまで、タンパク質の折り畳み現象は、アミノ酸や水の間の静的な相互作用を考えることで理解され、アミノ酸の一次元配列と折り畳み状態の関係については理解が大きく進んできましたが、折り畳み過程における水の動的な役割についてはほとんど未解明でした。
この問題を解明するために、研究グループは流体粒子ダイナミクス法(注1)という液体の流れの効果を正しく取り入れることが可能な独自のシミュレーション法により、アミノ酸を粒子で表現した四つのαヘリックス(注2)の束からなるタンパク質の標準的な粗視化モデル(注3)を用いて、ランダムなコイル状態からネイティブ(注4)状態への折り畳みの過程におけるアミノ酸残基間の多体的な流体力学的相互作用(注5)の役割について調査しました(図1)。

図1:四つのαヘリックスの束からなるタンパク質の模式図
左図は粒子表記で、右図は骨格をあらわす。


その結果、流体力学的相互作用が速い折り畳み経路を選択し、タンパク質が間違った状態に動的に捕らわれずに迅速にネイティブ状態に到達するのを助けることが明らかになりました(図2)。

図2:4本のαヘリックスバンドルタンパク質の折り畳み中の異なる動的経路

また、その背後にある流体力学的相互作用の詳細な物理的メカニズムも明らかにしました(図3)。まず、タンパク質の骨格に沿った方向性の流れがタンパク質の収縮を促進し、一方で非ネイティブな疎水性(注6)の接触の蓄積を遅らせ、その結果、タンパク質がネイティブ構造を探索する際に局所的なエネルギーの極小値に捕らわれることを防ぎます。これらの結果は、溶媒の流れがタンパク質の折り畳みに与える役割の重要性を強く示唆し、疎水性相互作用によって促進されるタンパク質の折り畳みに広く適用されると考えられます。


図3:流体力学的相互作用の物理的なメカニズム
(a) アミノ酸鎖の初期ランダム状態。(b) 折り畳み中の中間状態。(c) 最終的なネイティブ状態。(d) 粒子間の隙間に対する粘性抵抗係数の依存性。(e) タンパク質の凝縮時における溶媒の圧力場。溶媒はタンパク質領域から周囲に押し出される。


この成果は、タンパク質の折り畳み現象における運動学的経路(注7)の選択において、エネルギー地形(注8)に基づいた考察だけでは不十分であり、運動量保存則(注9)の果たす役割を考慮することの重要性を示したもので、今後の研究に大きな影響を与えると期待されます。
本成果は2024年3月27日(米国東部夏時間)に「Physical Review Letters」のオンライン版で公開されました。

ー研究者からのひとことー
タンパク質の折り畳みは、細胞機能や人間の健康に不可欠な基本プロセスです。人工知能プログラムAlphaFoldによって、アミノ酸配列によって形成されるネイティブ構造の正確な予測が可能になりました。しかし、ネイティブ構造への動的経路の解明は依然として大きな課題です。特に、溶媒によって誘導される流体力学的相互作用は、折り畳みのダイナミクスに大きな影響を与えますが、その役割は未解明です。生物が進化の過程で溶媒の流れをどのように利用してきたかを理解することは興味深い問題であり、生命現象の理解に物理が役立つことが期待されます。(田中肇シニアプログラムアドバイザー)

発表内容

タンパク質は生命活動の鍵を握る重要な構成要素です。生物体内での生物学的機能はさまざまなタンパク質によって実行されます。ほとんどのタンパク質は水溶性であり、生物学的機能を発揮するには水溶液中に存在する必要があります。乾燥したタンパク質は生物学的に活性ではありません。水は溶媒として機能するとともに、一方で水の動きは折り畳みプロセス中に多くのアミノ酸残基の運動を動的に結合させます。この効果は流体力学的相互作用と呼ばれます。しかし、その重要性にもかかわらずこれまでにあまり注目されてきませんでした。タンパク質の折り畳みのほとんどのシミュレーションを用いた研究では、流体力学的相互作用を考慮しないランジュバン・ダイナミクス法(注10)が採用されてきました。タンパク質の折り畳みの流体力学モデリングにRotne-Prager(RP)テンソル(注11)を統合する取り組みがいくつか行われています。ただし、RPテンソルは、非圧縮性(流体が圧縮されない性質)に起因する流体の短距離相互作用である「圧縮流効果(注12)」を十分に考慮していません。

研究グループは、四本のαヘリックスの束からなるタンパク質の折り畳み運動を研究するために、流体粒子ダイナミクス(FPD)シミュレーション法を採用しました。ネイティブ状態は図1に示されています。最初はランダムなコイル状態ですが、タンパク質は時間の経過とともに、アミノ酸残基間の疎水性相互作用によってαヘリックスの段階的な組み立てプロセスを経て折り畳まれていきます(図2)。ただし、常に正しいネイティブ状態への折り畳みが効率よく達成されるわけではありません。タンパク質はネイティブ状態に到達する前に障壁に遭遇する場合があり、これにより選択されるミスフォールディング経路では折り畳みには膨大な時間を要するようになります。
本研究により、水を介した流体力学的相互作用が効率的な折り畳み経路を選択する上で重要な役割を果たし、タンパク質が動力学的に捕らわれることなく、素早くそのネイティブ状態に達するのを可能にすることが明らかになりました。したがって、流体力学的相互作用が存在しない場合と比較して折り畳み運動は著しく加速されることになります。
その物理的なメカニズムは以下のように説明されます。最初に、タンパク質の折り畳み中にアミノ酸間の引力による凝縮に伴い方向性のある流れが誘起され、折り畳みダイナミクスを加速します(図3の(a)から(b)へ)。その後、流体の非圧縮性によって誘発された圧縮流効果がネイティブ状態に導く適切な疎水性接触を確立する上で重要となります(図3(b)から(c)へ)。この圧縮流効果は、粒子が密接に接近する際に重要な役割を果たします(図3(d)で、2つの接近する粒子の挙動を参照)。タンパク質の折り畳みにおいては、圧縮流効果(図3(e))がタンパク質の折り畳み中に非ネイティブな疎水性接触の蓄積を防ぐのに役立ちます。この特徴は ランジュバン・ダイナミクスやRPテンソル法を用いた従来の研究では見落とされてきました。

本研究成果は、タンパク質の折り畳み現象における始状態から終状態にいたる運動学的経路の選択において、エネルギー地形に基づいた考察だけでは不十分であり、流体の存在に起因した運動量保存則の果たす役割を考慮することの重要性を示したもので、タンパク質を含む生体高分子の動的な挙動についての今後の研究に、新しい示唆を与えると期待されます。
本研究で得られた知見は、タンパク質の折り畳みにおける溶媒の流れの関与の理解を促進し、広く様々なタンパク質の折り畳みにも適用されるものと期待されます。実際の生きた細胞内では、タンパク質の折り畳みとタンパク質間の凝集の間でしばしば動的な競争が起こります。この発見は、細胞が溶媒流を活用して迅速な折り畳み経路を実現し、それによってタンパク質が折り畳まれる前に凝集してしまう可能性を低減することに寄与していることを示唆します。多くのタンパク質やRNAなど、この研究では考慮されていなかった帯電成分を含む他の生体分子もあります。電気的な相互作用を組み込んだFPD法を用いることで、帯電生体分子への調査を拡大することも可能です。

参考文献
  1. H. Tanaka and T. Araki, Simulation method of colloidal suspensions with hydrodynamic interactions: Fluid particle dynamics, Phys.Rev.Lett.85,1338 (2000).
発表者

東京大学 先端科学技術研究センター 高機能材料分野
ユアン ジャアシン(特任研究員)
田中 肇(シニアプログラムアドバイザー:特任研究員/東京大学 名誉教授)

論文情報
雑誌:Physical Review Letters(3月27日)
題名:Impact of hydrodynamic interactions on the kinetic pathway of protein folding
著者:Jiaxing Yuan and Hajime Tanaka*
*責任著者
DOI:10.1103/PhysRevLett.132.138402別ウィンドウで開く
研究助成

本研究は、文部科学省科学研究費 特別推進研究(JP20H05619)の支援により実施されました。

用語解説

(注1)流体粒子ダイナミクス法
流体粒子ダイナミクス(FPD)法は、流体媒質中の粒子間の流体力学的相互作用を研究するために開発された方法で、粒子間の多体的な流体力学的相互作用を長距離から短距離に至るまで正しく取り扱うことが可能です。

(注2)αヘリックス
αヘリックスは、タンパク質の二次構造の一つであり、タンパク質鎖がらせん状に配置された構造です。このらせん構造は、アミノ酸残基のペプチド結合の配列に基づいて形成され、通常は右ひねりのらせんとして存在します。αヘリックスは、タンパク質の安定性や機能に重要な役割を果たし、多くのタンパク質の構造中で見られます。

(注3)粗視化モデル
粗視化モデルは、複雑な系や現象を理解しやすくするために、システムの詳細な構造や挙動を単純化したモデルです。通常、粗視化モデルでは、系の重要な特性や相互作用が保持されていますが、原子や分子の個々の詳細は無視されます。これにより、より大規模なスケールでのシミュレーションや解析が可能になり、複雑な現象を説明するためのツールとして広く利用されています。

(注4)ネイティブ
通常、タンパク質が特定の環境条件下で持つ天然の、または最も安定した構造や状態を指します。タンパク質の「ネイティブ構造」は、通常、その機能を発揮するために必要な正しい三次元的な形状や配置を持ちます。ネイティブ状態のタンパク質は、通常、その最適な条件で折り畳まれ、最も安定な状態で存在します。

(注5)流体力学的相互作用
流体力学的相互作用とは、流体中に浮かんでいる粒子や物体がお互いに及ぼす相互作用のことです。

(注6)疎水性
疎水性とは、物質が水と相互作用する性質をあらわします。疎水性が高い物質は、水との相互作用を避け、非極性の疎水部分を持ちます。一般的に、疎水性の高い物質は水に溶解しにくく、水から離れようとする傾向があります。この性質は、タンパク質や脂質などの生体分子の立体構造や相互作用に重要な役割を果たします。

(注7)運動学的経路
運動学的経路(Kinetic pathway)とは、ある系がある状態から別の状態に至るまでの過程で経験する一連の状態の系列を指します。これは、化学反応やタンパク質の折り畳みなどの動的なプロセスを記述する際に使用されます。運動学的経路は、系が異なる状態に移る経路や中間生成物を示し、系のダイナミクスやエネルギー地形に関する重要な情報を提供します。

(注8)エネルギー地形
エネルギー地形とは、化学反応や複雑な分子の動力学的プロセスを表現するための概念です。この概念では、系のエネルギー状態を多次元の空間として捉え、各点が異なるエネルギー値を持つと考えます。系が異なる構造や状態に移行する過程は、このエネルギー地形上の経路として表現されます。エネルギー地形は、系が安定状態や遷移状態、中間状態などの異なる状態を経て移動する様子を視覚化し、理解するのに役立ちます。また、エネルギー地形は、分子のダイナミクスや反応速度などの特性を解析するための基盤としても利用されます。

(注9)運動量保存則
運動量保存則は、物理学の基本的な法則の一つであり、系全体の運動量が時間の経過とともに変化しないという原則を表しています。

(注10)ランジュバン・ダイナミクス法
分子動力学シミュレーション法の一種で、粒子や分子のダイナミクスをシミュレートするために使用される一般的な計算技術です。このアプローチでは、溶媒を粒子に対して局所的な力を及ぼすものとして考えますが、流体力学的相互作用は考慮されません。

(注11)Rotne-Prager(RP)テンソル
Rotne-Prager(RP)テンソルは、流体中に浮遊する粒子間の流体力学的相互作用の研究に使用される数学的な構造です。これは、長距離の流体力学的影響を考慮する手段を提供しますが、流体力学の短距離部分は適切に考慮されていません。

(注12)圧縮流効果
圧縮流効果(潤滑効果としても呼ばれる)は、流体中で粒子が接近し直接接触するのを防ぐ流体の効果です。例えば、二つの粒子が互いに接近すると、それらの間の粘性抵抗が大幅に増加します。理論的には、極端に短い距離では粘性抵抗が発散します。図3(d)に示されているように、流体粒子ダイナミクス法は、二つの粒子が接近するにつれて粘性抵抗が急速に増加する様子を、RPテンソル法に比べてよりよく表現します。なお、ランジュバン・ダイナミクス法では粘性抵抗は常に一定です。

問合せ先

東京大学 名誉教授
東京大学 先端科学技術研究センター 高機能材料分野
シニアプログラムアドバイザー(特任研究員)田中 肇(たなか はじめ)

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