マウスの涙に含まれるフェロモンの遺伝子は、血液中のグロビンに由来する

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2020-09-24 東京大学

発表者
新村 芳人(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任准教授)
角田 麻衣(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任研究員:研究当時)
加藤 紗理(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 学部生:研究当時)
村田  健(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 特任助教)
柳川 太一(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 大学院生:研究当時)
鈴木 俊太(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 大学院生:研究当時)
東原 和成(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授/ 東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-IRCN)連携研究者兼任)

発表のポイント

  • マウスの涙の中に分泌されるペプチド性フェロモン(注1)ESP(Exocrine gland-Secreting Peptide)をコードする遺伝子の進化的起源を明らかにした。
  • 血液中で酸素を運搬するグロビンの遺伝子がゲノム中に組み込まれ、それが別の遺伝子のシグナル配列と組み合わさってESP遺伝子が誕生したというシナリオを提唱した。
  • 本研究は、既存の遺伝子の「使い回し」によって新規遺伝子が誕生したという興味深い例である。

発表概要

マウスは、ESP(Exocrine gland-Secreting Peptide)と呼ばれる水溶性のペプチドをフェロモン(注1)として用いています。ESPにはいくつかの種類がありますが、その中の一つESP1は、オスの涙の中に分泌され、それを受け取ったメスの性行動を促進する働きをします。ESPをコードする遺伝子は、これまでマウスとラットのゲノムからしか見つかっていませんでした。フェロモンのような種特異的な遺伝子がどのようにして誕生し、進化してきたかを明らかにするために、東京大学大学院農学生命科学研究科の新村芳人特任准教授、東原和成教授らの研究グループは、様々な齧歯目(注2)のゲノム配列を用いて解析を行いました。驚くべきことに、ESP遺伝子は、グロビン遺伝子に由来することが明らかになりました。グロビンは、血液中に含まれ、酸素を運搬するタンパク質です。解析の結果、グロビン遺伝子のDNAがゲノム中に組み込まれ、それが別の遺伝子のシグナル配列(ペプチドを細胞外へ分泌する働きをもつ)と組み合わさることにより、ESP遺伝子が誕生したことが示されました。本研究は、既存の遺伝子の「使い回し」によって新たな遺伝子が生み出された例として、非常に興味深いものです。

発表内容

マウスの涙に含まれるフェロモンの遺伝子は、血液中のグロビンに由来する
図1.ESP遺伝子の起源
A オスマウスは、涙の中にESP1というペプチド性フェロモンを分泌します。メスマウスは、オスの涙に触れてESP1を取り込むと、ロードシスという交尾受け入れ体勢をとります。
B マウスのゲノム中には、機能するESP遺伝子が36個あります。それらは17番染色体上に並んで存在し、その隣にCRISP2という別の遺伝子があります。上図で、太い横線は染色体DNAを表し、縦線はESP遺伝子の位置を示します。縦線の上下は遺伝子の向きを表します。各ESP遺伝子のコード領域は2個のエクソンからなります。本研究は、ESP遺伝子のシグナル配列はCRISP2遺伝子のシグナル配列に由来し、成熟配列は、αグロビン遺伝子のmRNAが逆転写酵素によってゲノム中に組み込まれたものに由来することを明らかにしました。

東京大学大学院農学生命科学研究科の東原和成教授の研究グループは、2005年にオスマウスの涙の中に分泌される新規のフェロモン(注1)を発見し、ESP1と名付けました。ESP1は水溶性のペプチドです。メスマウスはオスの涙に触れることでESP1を受けとり、ロードシスと呼ばれる交尾受け入れ体勢を取ります(図1A)。マウスのゲノム中には、ESP1遺伝子と類似した配列をもつ遺伝子が多数あり、これらをまとめてESP遺伝子と呼びます。マウスESP遺伝子のコード領域(注3)は、2個のエクソン(注3)に分かれています。一つ目の短いエクソンはシグナル配列を、二つ目の長いエクソンは成熟配列をコードしています(図1B)。シグナル配列はペプチドを細胞外に輸送する機能をもち、細胞外に運び出されたペプチドは、シグナル配列が切断されてフェロモンとしての機能を発揮するようになります。フェロモンとして機能する部分の配列を成熟配列と呼びます。
これまで、ESP遺伝子は、マウスとラットのゲノムからしか見つかっていませんでした。ESP遺伝子は、マウスとラット以外ではどのような生物がもっているでしょうか。マウス以外の生物のESPも、フェロモンとして働くのでしょうか。また、ESP遺伝子が特定の生物にしかないとしたら、その遺伝子はどこから来たのでしょうか。これらの疑問に答えるため、東京大学大学院農学生命科学研究科の新村芳人特任准教授・東原和成教授らの研究グループは、様々な生物のゲノム配列からESP遺伝子を検索し、その起源と進化を明らかにするための研究を行いました。
23種の齧歯目(注2)と87種の齧歯目以外の哺乳類のゲノム配列に対し、ESP遺伝子に類似した配列が存在するかどうかを調べました。解析の結果、ESP遺伝子は、齧歯目のごく一部、ネズミ科(マウスやラット)とキヌゲネズミ科(ハムスターなど)にしかないことがわかりました。このことは、ESP遺伝子が誕生したのは、ネズミ科とキヌゲネズミ科が分岐した約3300万年前であることを示しています。
マウス以外の齧歯目がもつESPの機能を調べるために、ラットとハムスターの涙腺と唾液腺の細胞で、ESP遺伝子の発現を調べました。その結果、いくつかのESP遺伝子の成熟配列は、シグナル配列と一緒に発現していることが確かめられました。したがって、ラットやハムスターのESPは、涙や唾液中に分泌されると考えられます。ただし、これらのESPがフェロモン活性をもっているかは、はっきりとは確認できませんでした。
それでは、ESP遺伝子はどこから来たのでしょうか。研究グループは、ESP遺伝子の成熟配列が、血液中で酸素を運搬するαグロビンの遺伝子に類似していることを突き止めました。両者の類似性は弱く、既知のマウスとラットのESP遺伝子を使って検索しても見つからない程度のものでした。哺乳類のゲノム中には、レトロトランスポゾンと呼ばれるウイルス様の配列が無数にあります。レトロトランスポゾンは、逆転写酵素というタンパク質をコードしており、このタンパク質は、転写されたmRNAをゲノムのDNA中に組み込む働きをします。解析の結果、ESP遺伝子の成熟配列は、αグロビン遺伝子のmRNAが逆転写酵素によってゲノム中に組み込まれたものであることが示唆されました。
さらに、ESP遺伝子のシグナル配列は、CRISP2(注4)という別の遺伝子のシグナル配列に非常によく似ていることがわかりました。CRISP2遺伝子のシグナル配列も、ESP遺伝子と同様、単独のエクソンにコードされています。面白いことに、ハブなどの毒ヘビでは、CRISP は毒液中に分泌されて毒として働きます。
以上のことから、次のようなESP遺伝子進化のシナリオを提唱しました。まず、ネズミ科とキヌゲネズミ科の共通祖先において、αグロビン遺伝子のmRNAが、逆転写酵素によって、偶然、CRISP2遺伝子の近くに挿入されました。挿入されたαグロビン遺伝子は、CRISP2遺伝子のシグナル配列をコードするエクソンと一緒になって新たな遺伝子を形成し、これがESP遺伝子の祖先になりました。この祖先型ESPは、唾液中に分泌されていたようです。やがて、マウスの系統で、涙の中に分泌されるようになるとともに、遺伝子重複によってESP遺伝子の数が増えて多様化し、フェロモンとして利用されるようになったと考えられます。
新規の発明は、まったくの無から生まれるのではなく、既存の、一見無関係なもの同士の新たな組み合わせから生まれます。本研究は、既存の遺伝子の新たなエクソンの組み合わせから新規のフェロモン遺伝子が誕生した例として、非常に興味深いものです。哺乳類のゲノム中には、まだ未発見のフェロモン遺伝子が潜んでいるかもしれません。本結果は、その探索に応用できます。

発表雑誌

雑誌名
Molecular Biology and Evolution
論文タイトル
Origin and evolution of the gene family of proteinaceous pheromones, the exocrine gland-secreting peptides, in rodents.
著者
Yoshihito Niimura*, Mai Tsunoda, Sari Kato, Ken Murata, Taichi Yanagawa, Shunta Suzuki, and Kazushige Touhara*† *Correspondence, †Lead contact
DOI番号
10.1093/molbev/msaa220

問い合わせ先

東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 生物化学研究室
特任准教授 新村芳人(ニイムラ ヨシヒト)

用語解説

(注1)フェロモン
ある個体から発せられ、同種他個体において特定の行動や生理的変化を引き起こす化学物質のこと。同種内だけに働くことから、それぞれの種で特異的な化学物質をフェロモンとして利用している。揮発性の小さな分子の他に、水溶性のペプチドもフェロモンとして利用される。

(注2)齧歯目(げっしもく)
マウスやラット、ハムスターなどを含む哺乳類のグループ。約2300種を含み、哺乳類最大のグループを形成している。

(注3)コード領域・エクソン
一般に、真核生物の遺伝子は、いくつかの断片に分断されてゲノム中に存在している。DNAがRNAに転写される際、一旦長いmRNA前駆体が合成されてから、「イントロン」と呼ばれる部分が除去されてmRNAとなる。mRNA前駆体として転写されるDNA領域のうち、イントロン以外の部分を「エクソン」と呼ぶ。また、mRNAのうち、タンパク質として翻訳される部分をコード領域と呼ぶ。

(注4)CRISP2
CRISPは、システインリッチ分泌タンパク質(Cysteine-RIch Secretory Protein)の略。マウスは、CRISP1~4という4種類のCRISP遺伝子をもつ。マウスでは、CRISP遺伝子は主に精巣で発現して受精などに関与するが、唾液腺や涙腺でも発現している。ハブなどの毒ヘビでは、CRISP は毒腺から毒液中に分泌され、平滑筋(内臓の筋肉)の収縮を妨げる毒として働く。

細胞遺伝子工学生物化学工学
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