2022-03-02 国立精神・神経医療研究センター,富山大学
国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター(NCNP)精神保健研究所行動医学研究部の堀弘明室長および国立大学法人富山大学学術研究部医学系臨床心理学・認知神経科学講座の袴田優子教授らの研究グループは、小児期の被虐待体験が成人後のインターロイキン-6 (IL-6) 1)濃度の日内変動の平坦化に関連することを明らかにしました。
小児期に虐待を受けると、大人になってからの精神疾患や身体疾患のリスクが高まることが知られています。今回の研究は、小児期被虐待体験による心理的・身体的影響が長期にわたって持続する生物学的メカニズムの一端を明らかにするとともに、そういった影響を和らげ、心身の不調や疾患を予防する新たな方法の開発につながりうるものと考えられます。
この研究成果は、日本時間2022年1月31日に精神神経免疫学専門誌「Brain, Behavior, and Immunity」にオンライン掲載されました。
研究の背景
幼少期に虐待などの逆境体験を経験した場合、うつ病や心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの精神疾患、さらに、がんや心疾患などの身体疾患のリスクが高まることが多くの調査研究によって示されています。幼少期の逆境体験がどのようなメカニズムで成人後のさまざまな疾患につながるのか、はっきりしたことはわかっていませんが、免疫・炎症系の関与を示唆する研究結果が近年相次いで報告されています。実際、幼少期に虐待体験を経験した方において、またうつ病やPTSDの患者さんにおいても、IL-6高値などによって示される炎症の亢進が報告されています(参考文献1)。しかし、幼少期被虐待体験は炎症の亢進と関連していないとする研究もあり、この関連の知見は十分に一致していないのが現状です。
この問題を乗り越えるためのアプローチとして私たちが着目したのは、代表的な炎症性サイトカインであるIL-6の濃度には概日リズム、すなわち生理的な日内変動が存在する、という事実です。さらには、ストレスフルな状況やうつ病では、このIL-6の日内変動が平坦化すると報告されています。そこで、幼少期に経験する強いストレスやトラウマによって生じる重要な生物学的変化は、IL-6の概日分泌リズムの平坦化ではないか、という仮説を立てました(図1)。
図1 ストレス・トラウマに関連したIL-6概日分泌リズムの平坦化―仮説―
研究の内容
本研究は、研究実施機関で収集されたデータおよびサンプルの一部を用いて行われました。
本研究では、116名の健常成人(平均年齢27.6歳; 男性52名, 女性64名)を対象としました。各被験者に対して面接を行い、精神疾患に罹患していないことを確認しました。幼少期被虐待体験は、自記式質問紙である幼少期トラウマ質問票(Childhood Trauma Questionnaire)によって評価し、虐待歴のある群とない群に群分けを行いました。
IL-6濃度の日内変動を調べるために、連続2日間にわたり、日常生活の中で1日あたり5時点、すなわち、起床直後(T1)、起床30分後(T2)、正午付近(11:30-12:30)(T3)、夕方(17:30-18:30)(T4)、就寝前(T5)、での唾液サンプリングを行いました。唾液中IL-6濃度は、専用キットを用いてELISA法2)により測定しました。IL-6データの分析には、2日間の平均値を用いました。
IL-6濃度の日内変動については、夜間が最も高く、午後から夕方にかけて低下するという、先行研究(参考文献2)と同様のパターンが確認されました(図2a:破線)。IL-6の日内変動パターンは、幼少期の情緒的虐待(=暴言などの心理的虐待)と有意に(=統計学的に意味をもって)関連しており、虐待歴のない群では明確な日内変動が認められたのに対して(図2a:青)、虐待歴のある群では日内変動が大きく減弱し、平坦化していました(図2a:オレンジ)。さらに、この平坦化の主たる要因は、夜間のIL-6濃度上昇の欠如にあることも明らかになりました(図2a:オレンジ)。日内変動の大きさの指標である1日5時点のIL-6値の標準偏差についても、虐待歴のない群に比べ、ある群は有意に小さいという結果でした(図2b)。
図2 幼少期情緒的虐待とIL-6日内変動の関連(a)1日5時点の各時点についての唾液中IL-6濃度の平均値 (b)1日5時点の標準偏差で示されるIL-6濃度の日内変動
研究の意義・今後の展望
本研究の意義は、幼少期逆境体験が生体のストレス応答に関与する免疫システムに長期的な影響を及ぼす可能性について、概日リズムの視点から一つの示唆を与えた点にあります。本研究により、幼少期被虐待体験がIL-6の日内変動平坦化に関連することが世界で初めて見出されました。 今後、うつ病やPTSDなどの強いストレス状態にある方々での検討が重要と考えられます。また、幼少期に虐待を受けてもIL-6日内変動平坦化がみられない方もいることから、IL-6日内変動の個人差に関わる遺伝的要因などの検討も必要と考えられます。さらに、「免疫系の概日リズムが平坦化することで、どのような健康上の問題が起きるのか」という重要な疑問が残されています。他の生体システムの概日リズムの平坦化や破綻がそうであるのと同様、おそらく免疫系についても、本来存在する概日リズムが消失するというのは、心身の健康にとって何らかのデメリットがあるものと想定されます。これが明らかになることで、今回の発見の意義もより明確になります。そういった研究が進展することで、ストレスやトラウマに関連した精神疾患の早期発見・個別化予防法の開発につながることが期待されます。
用語解説
1) インターロイキン-6 (IL-6): 炎症性サイトカインと呼ばれる物質の一種で、感染症や外傷、自己免疫性疾患などで上昇し、全身のさまざまな部位において免疫応答や炎症反応の調節に重要な役割を果たしている。
2) Enzyme-linked immuno-sorbent assay (ELISA):抗体を使った免疫学的測定法で、サンプル中にあるタンパク質などの生体物質を定量するために広く用いられている手法。
原著論文情報
- 論文名:Association of childhood maltreatment history with salivary interleukin-6 diurnal patterns and C-reactive protein in healthy adults.
- 著者:Hori H, Izawa S, Yoshida F, Kunugi H, Kim Y, Mizukami S, InoueY, Tagaya H, Hakamata Y.
- 掲載誌:Brain, Behavior, and Immunity 2022; 101: 377–382.
- DOI: 10.1016/j.bbi.2022.01.020
- URL: https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S088915912200023X
参考文献1
Inflammation and post-traumatic stress disorder.
Hori H, Kim Y:
Psychiatry and Clinical Neurosciences 2019; 73: 143-153.
参考文献2
The diurnal patterns of salivary interleukin-6 and C-reactive protein in healthy young adults.
Izawa S, Miki K, Liu X, Ogawa N:
Brain, Behavior, and Immunity 2013; 27: 38-41.
助成金
本研究は、以下の補助金・助成金によって行われました。
・文部科学省科学研究費 基盤研究(B)(18H01094 研究代表者:袴田優子), 基盤研究(C)(20K07937 研究代表者:堀弘明)
・公益財団法人テルモ生命科学振興財団研究助成 (研究代表者:堀弘明)
・公益財団法人鈴木謙三記念医科学応用研究財団調査研究助成 (研究代表者:堀弘明)
お問い合わせ先
【研究に関するお問い合わせ先】
堀 弘明 (ほり ひろあき)
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター
精神保健研究所 行動医学研究部 室長
袴田 優子(はかまた ゆうこ)
国立大学法人 富山大学学術研究部医学系 教授
臨床心理学・認知神経科学講座
【報道に関するお問い合わせ先】
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター
総務課広報係
国立大学法人 富山大学
総務部総務課 広報・基金室