細胞内における相分離の基礎的なメカニズムを解明

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2022-06-30 東京大学生産技術研究所

1.発表者
  • 田中 肇(研究開始当時:東京大学生産技術研究所 教授
    現:東京大学名誉教授/東京大学先端科学技術研究センター シニアプログラムアドバイザー(特任研究員))
2.発表のポイント
  • 細胞内の微小な構造体の多くを形成する相分離構造の形態や、性質を制御するメカニズムは未解明であった。
  • 細胞内で見られる様々な相分離形態や性質が、高分子溶液やコロイド分散系で発見された粘弾性相分離現象により理解できることを明らかにした。
  • この発見により、細胞内の相分離の基礎的なメカニズムの解明が進むとともに、アルツハイマー病などに代表される相分離に関連した病気の解明に寄与すると期待される。
3.発表概要

相分離現象として最も身近なものは、サラダドレッシングで見られる水と油の相分離です。このような相分離現象では、体積分率が少ない方の相(少数相)が、体積分率の多い母相の中で、球形の液滴を形成します。一方で、2つの相がほぼ同じ体積を占める場合には、互いの相が迷路のようにつながりあった共連結構造をとることが知られています。細胞内相分離においても、多くの場合、少数相が球系の液滴を形成することが知られていました。近年では、少数相がネットワーク状の構造を持つ特異な細胞内相分離が複数発見されましたが、このような特異な性質を持つ構造がどのようなメカニズムで形成されるのかは不明でした。

田中 肇 東京大学名誉教授(先端科学技術研究センター シニアプログラムアドバイザー)は、この現象が高分子溶液系(注1)、コロイド分散系(注2)、タンパク質溶液系(注3)において粘弾性相分離現象[参考文献1]の物理的なメカニズムにより説明できることを示しました。リボ核タンパク質顆粒網(注4)の場合[参考文献2]には、大きな分子量を持った速度が遅いRNAが凝縮することで、RNAの多い相は弾性的に振る舞い、力の釣り合い条件を保つようにネットワーク状の構造が形成されると考えられます。さらに、RNA結合タンパク質により固体化され、構造が安定した状態になると考えられますが、そのような状況でも動けるタンパク質の存在について、ぬれ現象(注5)により説明できることも明らかにしました。

本研究の成果は、生体における相分離パターンの多様性と機能の理解に大きく貢献するだけでなく、アルツハイマー病などに代表される相分離に関連した様々な病気の解明にも寄与すると期待されます。

本研究成果は2022年6月28日(英国夏時間)に「Communications Physics」に掲載されました。

4.発表内容

細胞内に存在する何らかの機能を有する小器官はオルガネラと呼ばれます。代表的なオルガネラとしては、核、ミトコンドリア、ゴルジ体などがありますが、これらは細胞膜に囲まれていたオルガネラの例です。一方、近年、細胞内に存在するオルガネラの多くは細胞膜で囲まれているわけではなく、相分離により自発的に形成され、またある時は解けて消えることが明らかになりました。このような相分離構造は生物の機能と深く関わっていることから、生物学の分野で近年大きな注目を集めています。

サラダドレッシングで見られる現象と同様に、細胞内相分離においても多くの場合、少数相が球系の液滴を形成することが知られていましたが、近年、少数相がネットワーク状の構造を持つ特異な細胞内相分離が複数発見されました。このような構造形成は、これまでの相分離の常識では説明できないため大きな謎となっていました。そのようなネットワーク構造を持つ凝縮体には、TIS(注6)顆粒網[参考文献3]、リボ核タンパク質顆粒網、細胞分裂の足場となる中心体(注7)集合体などがあります。これらの構造形成には分子量の大きな高分子成分であるRNAやDNAが関わっていることが知られています。

研究者は、この特異な相分離現象が、高分子溶液系、コロイド分散系、タンパク質溶液系において以前に発見した粘弾性相分離現象の物理機構により説明できることを示しました。この粘弾性相分離は、2つの相を構成する分子間の動きが大きく異なるときに普遍的に見られます。相分離は、均一に混ざった状態から始まるので、相分離はすべての成分の平均的なスピードで開始しますが、遅い成分が凝縮されてくるとその相は、相分離のスピードについていけなくなります。そのため、遅い成分が多い相は弾性的に振る舞い、そのパターンの形態は力学的な力のバランスにより決定されるようになります。一般に、3次元での力のバランスは、4つの力の間で、2次元の場合には、3つの力の間のつり合いで保たれます。その結果、分岐点のまわりに3次元では4本、2次元では3本の腕が繋がったネットワーク状の構造が形成されます(図)。

研究では、ネットワーク状のパターン形成には、大きな分子量を持ったRNAやDNAが重要な役割を演じていること、さらに、RNA結合タンパク質などにより構造が安定化されるとこれらの構造は固体的な性質を持ち、細胞分裂の際に重要となる力の足場としての機能を持つ可能性を示唆しました。力学的な機能以外にも、網目のようなネットワーク構造は固体的な性質を示しつつも、網目の穴の中では液体的な輸送が可能であり、固体と液体の性質を兼ね備えていると考えられます。更にこの構造は、球形の相分離構造に比べ、単位体積当たりの表面積が大きいため、生体化学反応の場としても理想的な構造であることが分かりました。また、ぬれ現象により、一見固体的な相の中でも、タンパク質などが動き回る自由度を持ち得ることも明らかになりました。

本研究の成果は、細胞内におけるネットワーク状の相分離構造の形成機構を明らかにするとともに、その構造が持つ固体的な弾性や高い液体輸送能力などが、細胞の機能発現にどのように関わっているかを理解する上で、重要な知見を提供することができます。また、固体的な凝集体形成に関連したアルツハイマー病などに代表される病気の解明にも寄与すると期待されます。

本研究は、日本学術振興会 特別推進研究(JP20H05619)、基盤研究(A)(JP18H03675)の支援を受けて実施されました。

参考文献

[1]
Tanaka, H. Viscoelastic phase separation. J. Phys.: Condens. Matter 12, R207 (2000).
[2]
Tanaka, H. Interplay between wetting and phase separation in binary fluid mixtures: roles of hydrodynamics. J. Phys.: Condens. Matter 13, 4637 (2001).
[3]
Ma, W., Zheng, G., Xie, W. & Mayr, C. In vivo reconstitution finds multivalent RNA-RNA interactions as drivers of mesh-like condensates. Elife 10, e64252 (2021).
5.発表雑誌
雑誌名:
「Communications Physics」
論文タイトル:
Viscoelastic phase separation in biological cells
著者:
Hajime Tanaka
DOI 番号:
10.1038/s42005-022-00947-7
6.問い合わせ先

東京大学名誉教授 東京大学先端科学技術研究センター シニアプログラムアドバイザー 田中 肇(たなか はじめ)

7.用語解説
(注1)高分子溶液系
高分子が溶媒に溶けた溶液の総称。
(注2)コロイド分散系
nm からμm 程度の大きさを持つ物質(分散相)が流体の中(分散媒)に分散している状態の総称。
(注3)タンパク質溶液系
タンパク質が水を代表とする溶媒に溶けた溶液の総称。
(注4)リボ核タンパク質顆粒網
リボヌクレオタンパク質は、RNAを含む核タンパク質、即ちリボ核酸とタンパク質の複合体の総称。リボ核タンパク質顆粒網は、細胞内で相分離によって形成される膜のないコンパートメントで、様々な生命現象の制御拠点として機能している。
(注5)ぬれ現象
固体に2つの流体(AとB)が接触したとき、固体と流体Aの界面エネルギー、固体と流体Bの界面エネルギー、流体Aと流体Bの界面エネルギーの3つのエネルギーの総和が最も小さくなるように固体表面付近の流体Aと流体Bの空間分布が変化する現象。
(注6)TIS(TPA誘導性配列)
ホルボールエステルであるTPAに誘導された配列を持つタンパク質群。
(注7)中心体
一般に動物や下等植物の細胞質内で、核の近くにあり、細胞分裂の際に中心的役割をすると考えられている小構造体のことを中心体と呼ぶ。
8.添付資料

粘弾性相分離特有の2次元相分離パターン
図 高分子溶液系(左)、タンパク質溶液系(中央)、細胞内相分離(右)で見られた粘弾性相分離特有の2次元相分離パターン。(左)ポリスチレン/ジエチルマロネート混合系で見られた相分離パターン。暗い相が高分子リッチ相。一辺は、約200μm。(中央)リゾチーム・水混合系で見られた相分離パターン。明るい相が、リゾチームリッチ相。一辺は、約200μm。(右)TIS顆粒が形成したネットワーク型の相分離構造。一辺は、約35μm。通常の相分離の常識では、どの場合も少数相が球系の液滴を形成するはずだが、実際には2つの相の分子の動きの大きな違いに起因して、遅い相が力のバランスを満たすようにネットワーク型の相分離構造を形成している。これらのパターンは、2次元のパターンと見なせ、多くの分岐点で3本の腕の間の力のバランスが満たされている。これら3つの混合系の構成成分は大きく異なるが、物理的な原理が同じため、パターンはほぼ同じに見える。

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