虫の飛行を司令する細胞を発見

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2022-01-28 東京大学

1.発表者

並木 重宏 (東京大学先端科学技術研究センター インクルーシブデザインラボラトリー 准教授)

2. 発表のポイント
  • 昆虫の飛行を司令する神経経路を明らかにしました。
  • 動物行動学と光遺伝学の技術を用いて、はばたき飛行を引き起こす細胞を特定しました。
  • 本研究成果は、動物が飛行する際の制御機構の解明や、人とは異なる昆虫知能のさらなる理解につながります。
3.発表概要

昆虫はきわめて高度な飛行能力を有しており、工学的応用のための研究も行われています。飛行を担う運動回路については多くの知見が得られていますが、より上位にあたる司令経路についてはこれまで明らかにされていませんでした。

東京大学先端科学技術研究センターの並木重宏准教授、米国ハワードヒューズ医学研究所のグイネス・カード室長、ワイアット・コルフ副所長、およびカリフォルニア工科大学のマイケル・ディキンソン教授らの研究グループは、モデル生物(注1)であるショウジョウバエにおいて、動物行動学と光遺伝学(注2)の手法を用いることで、昆虫脳において、飛行を司令する一群の神経細胞群を特定しました。

本研究成果は、動物の飛行を司令する脳経路を特定した初めての報告となり、昆虫の飛行制御のしくみのさらなる調査や、将来的には工学的応用につながることが期待されます。

本研究成果は、2022年1月27日(米国東部標準時間)に『Current Biology』誌オンライン版に掲載されました。

4.発表内容

昆虫は環境の変化に応じて巧みに飛行を制御しています。昆虫の飛行は生物進化における最も重要な発明の一つであるともいわれ、もし昆虫が飛ぶことがなければ、鮮やかな顕花植物の進化はなく、人間が果物を楽しむこともなかったかもしれません。飛ぶ動物には,鳥類・コウモリ(ほ乳類)や、絶滅した翼竜などがいますが、種の多様性を見ると、地球上でもっとも成功している動物は昆虫であるともいえます。飛行に関わる操縦技術の知恵に学ぶところも多く、例えばドローンの研究開発には、ミツバチをはじめとする飛翔昆虫の動物行動学の研究が大きな貢献をしてきました。

昆虫の情報処理は分散型とよばれ、ヒトを含む哺乳類と比べて、神経系を構成するそれぞれの神経回路の独立性が高いといわれています。分散型の特徴によって、昆虫では脳から身体への行動出力系である「司令ニューロン」(注3)を特定することが可能です。司令ニューロンは脳で統合された感覚情報を、身体へ伝達する重要な役割を持っています。司令ニューロンの研究を手がかりに、摂食行動、定位行動、逃避行動などの脳内の回路基盤が明らかにされつつあります。一方で飛行の司令については、これまで明らかにされていませんでした。

本研究では、伝統的な動物行動学と、細胞の活動を光で制御する光遺伝学の技術を用いて、飛行を司令する細胞の探索を行いました。研究チームはこの標的として、脳と身体の神経系を接続する細胞種である「下行性神経」(注4)に注目しました。Split-GAL4交差法(注5)を用いて、特定の下行性神経のみを選択的に標識する遺伝子組み換え系統を作出しました。この系統に赤色光で動作するイオンチャネルCsChrimson(注6)を用いて、神経細胞の活動を引き起こし、はばたき飛行を変化させる細胞を探索した結果、このような細胞として、特定の細胞種「DNg02」(注7)を特定しました。

DNg02の形状を観察したところ、一個の細胞ではなく、類似の形状をもつ少なくとも15対の細胞からなる細胞集団であることが分かりました。集団としての機能を調べるため、分子遺伝学的な手法を用いて、異なる数のDNg02を選択的に標識する組換え系統を作出しました。光遺伝学的に活性化した場合、すべての系統ではばたき強度の増大が観察されましたが、活性化する細胞の数が多いほど、はばたきの強度が大きいことが分かりました(図1)。昆虫の行動司令では、単一の細胞が特定の行動を引き起こす事例が多いものの、飛行の場合では例外的に、細胞集団として行動司令が行われていることが推察されます。

続いて、光遺伝学によって駆動されたはばたき運動が、自然な状態を再現したものかどうかという点を検証するために、観察されたはばたきの特徴を分析しました(図2)。DNg02の活性化によりはばたき強度が上限値に達する一方で、はばたき頻度は一定の値に収束する傾向にありました。頻度に対して強度をプロットすると、強度160°を中心に、はばたき頻度が増大から減少に転じるといった逆相関の関係にありました(図2右)。この関係は、自発的な飛行中のはばたき運動を分析した先行事例においても観察されることから、光遺伝学によるDNg02の活性化は、自然な状態に近い状態であることが示唆されます。

さらに、DNg02がどのように飛行に関わっているかを調べるため、ショウジョウバエが飛行している際のDNg02の活動を計測しました(図3)。DNg02にカルシウム感受性蛍光たんぱく質「GCAMP」(注8)を発現させて、行動実験と同じバーチャルリアリティ環境で、2光子励起顕微鏡(注9)を用いてDNg02の活動の測定を行いました。ショウジョウバエの旋回に同期した神経活動が観察され、DNg02が飛行を司令していることが確認されました。DNg02の活動は、反対側の翼のはばたき強度と相関していたことから、DNg02が飛行の操縦に関与することが示唆されます。

本研究成果は、動物飛行の司令情報の神経実体を明らかにするもので、飛行の制御機構解明のための手がかりとなります。訪花やナビゲーションなどの多様な昆虫行動の理解につながる他、将来的にはドローンやロボットの制御技術への応用が期待されています。

本研究は米国ハワードヒューズ医学研究所、米国国立衛生研究所、国立神経疾患・脳卒中研究所、日本学術振興会科学研究費補助金「若手研究(A)(課題番号:17H05011)」の支援のもとで行われました。

5.発表雑誌
雑誌名:
Current Biology(オンライン版:1月27日)
論文タイトル:
A population of descending neurons that regulate the flight motor of Drosophila
著者:
Shigehiro Namiki, Ivo G. Ros, Carmen Morrow, William J. Rowell, Gwyneth M. Card*, Wyatt Korff *, Michael H. Dickinson*
DOI番号:
10.1016/j.cub.2022.01.008
URL:
https://www.cell.com/current-biology/fulltext/S0960-9822(22)00019-7
6.問い合わせ先

インクルーシブデザインラボラトリー 准教授 並木 重宏

7.用語解説

注1)モデル動物
飼育や実験操作が容易であるなど、研究対象としての利点があり、多くの研究者が対象としている生物。動物では、マウス、ゼブラフィッシュ、ショウジョウバエ、線虫が代表的なモデル動物として知られている。

注2)光遺伝学
光によってタンパク質を制御する手法。光遺伝学によって、神経細胞の活動を高い時間分解能で選択的に操作することができるようになった。

注3)司令ニューロン
本文では特定の行動を引き起こすために必要なニューロンを司令ニューロンと呼んでいる。一般的に脳からの身体の制御信号をあらわす。狭義には必要性と十分性を満たすものとされる。司令ニューロンの定義については現在も議論が続いている。別名コマンドニューロン。

注4)下行性神経
脳と他の神経系をつなぐ細胞群の総称。神経系内部の情報の流れのボトルネックである。哺乳類のマウスではおよそ106個であるのに対し、昆虫の103個である。

注5)Split-Gal4交差法
ショウジョウバエのGAL4エンハンサートラップラインにおいて、発現を限局する手法。GAL4を機能ドメインとDNA結合ドメインの2つに分けて導入して系統を作出し、異なるエンハンサーの下で挿入された2つの系統を掛け合わせることで、両方のエンハンサーが発現する部位のみでGAL4が機能する。組み合わせを検討することにより、単一の神経細胞のみを選択的に標識する系統を作出することができる。

注6)CsChrimson
光活性化イオンチャネルであり、赤色光によって励起される。従来型のタンパク質では青色光によって励起されるが、青色は昆虫が本来持つ視覚系によって受容されるため、光遺伝学による作用との判別することが難しかった。一方で多くの昆虫は赤色への感度が小さいため、視覚系を介した効果は小さくなることが期待される。また長波長であるため、生体のより深部まで到達する。

注7)DNg02
ショウジョウバエに約1000個程度ある下行性神経のひとつで、本研究成果によって飛行を担う司令ニューロンであると特定された。脳後方の視覚領域と、胸部の飛行神経回路を接続している。

注8)GCaMP
カルシウム濃度によって蛍光を変化させるタンパク質で、カルシウムセンサーとして用いられる。緑色蛍光タンパク質GFPを利用して作られている。

注9)2光子励起顕微鏡
物質の励起に2光子吸収過程を利用した顕微鏡。長波長のレーザーを用いるため組織透過性に優れる。昆虫の生体組織の観察には2000年代初頭から活用され始めた。

8.添付資料

虫の飛行を司令する細胞を発見

図1.飛行の司令細胞DNg02。LEDディスプレイによるバーチャルリアリティ環境で細胞を光遺伝学的に活性化することではばたき運動を引き起こす細胞を探索した(上段左)。DNg02の形状(上段中央)、活性化時のはばたき変化(右、活性化開始から8回の羽ばたきを異なる色で表示、青から赤)、異なる細胞数を活性化した時の変化を示す(下段)。活性化する細胞の数が多いほど、はばたき強度が変化している。

はばたき頻度と強度の関係(8個体)

図2.はばたき頻度と強度の関係(8個体)。飛行細胞の活性化に伴い、強度は常に上昇するものの、頻度は205Hz程度の値に収束する。強度に対して頻度をプロットした場合、はばたき頻度と強度が共に増大した状態で両者の間にトレードオフの関係が認められ、推進力発生の理論値と一致する(200Wkg-1の等高線)。

飛行細胞DNg02の活動とはばたき強度の関係

図3.飛行細胞DNg02の活動とはばたき強度の関係。顕微鏡を用いて飛行状態のショウジョウバエからDNg02の応答(上)とはばたき強度(下)を同時に計測し、両者の相関を画像化した(右)。左右のはばたき変化に対応する活動が観察された。

生物化学工学
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