2022-09-27 国立がん研究センター,慈恵大学,京都大学,筑波大学,東北大学,東京工業大学
発表のポイント
- がんゲノムデータベースに登録される約7万種類の遺伝子変異のコンピュータ解析により、RETがん遺伝子に新たな治療標的となる遺伝子変異があることを発見しました。
- がんゲノム医療の現場で同定される意義の不明な遺伝子変異の中には、既存の抗がん剤の治療効果が見込まれる治療標的変異が含まれていることが示されました。
- 様々な遺伝子の意義不明変異を意義付けすることで、がんゲノム医療による患者さんの治療機会が拡大することが期待されます。
概要
国立研究開発法人国立がん研究センター(理事長:中釜 斉、東京都中央区)、学校法人慈恵大学(理事長:栗原 敏、東京都港区)、国立大学法人京都大学(総長:湊 長博、京都市左京区)、国立大学法人筑波大学(学長:永田 恭介、茨城県つくば市)などからなる研究チームは、がんゲノムデータベースに登録される約7万種類の遺伝子変異に対するコンピュータ解析やそれに基づく細胞実験を行い、これまで薬剤の有効性が確認できておらず意義が不明とされていた変異のなかから既存薬剤のRET阻害薬による治療効果が見込まれる新たなRET遺伝子の変異を発見しました。RET遺伝子の変異は、甲状腺がんをはじめとして幅広いがんに見られますが、RET阻害薬の有効性を確認できているのは特定の変異を有する一部の患者さんで、意義が不明の変異を有する患者さんにおいての有効性はその多くが解明されていませんでした。
がんゲノム医療の現場では、RET遺伝子に限らず、さまざまな遺伝子で意義の不明な遺伝子変異が頻繁に見つかります。本研究により意義の不明な遺伝子変異の中には、既存の抗がん剤の治療効果が見込まれる治療標的変異が含まれていることが示され、今後、コンピュータ解析によりこれらの変異の意義を推定していくことにより、患者さんの抗がん剤による治療機会が拡大することが期待されます。
本研究は、国立がん研究センター研究所ゲノム生物学研究分野 中奥敬史主任研究員、河野隆志分野長、東京慈恵会医科大学産婦人科学講座 田畑潤哉医員、岡本愛光教授、京都大学大学院医学研究科 荒木望嗣特定准教授、奥野恭史教授、筑波大学医学医療系 吉野龍ノ介助教、東北大学加齢医学研究所 宇井彩子准教授、東京工業大学 情報理工学院 情報工学系 関嶋政和准教授らからなる研究チームにより行われたもので、研究成果は科学誌「Cancer Research」に9月27日に掲載されます。
背景
がん細胞に生じた遺伝子変異を見つけ出し、変異に有効な抗がん薬を投与するがんゲノム医療 (注1) が全国のがんゲノム医療中核拠点・拠点・連携病院で保険診療として行われています。しかし、患者さんでみられる遺伝子変異の多くは発がんや治療における意義がわからない意義不明変異(VUS, variants of unknown significance) (注2)です。これらの変異は検出されたとしても、効果の見込まれる抗がん薬が見出せず、がんゲノム医療における大きな課題となっています。今後、がんゲノム医療をより有用なものとするためには、この意義不明変異の意義を理解し、治療に生かしていくことが必要です。
RET遺伝子 (注3) は、他の遺伝子との融合や変異によって活性化し、肺がんや甲状腺がんを引き起こすがん遺伝子です。これらの遺伝子変化を持つがんに対し高い効果を持つ治療薬としてRET阻害剤が開発され、保険診療で用いられています。しかし、RET遺伝子の変異については、RET阻害剤が投与される対象となるのは、有効性が確認できているホットスポット変異と呼ばれる一部の変異のみで、他の多くは意義不明変異とされてきました。
研究内容
本研究では、様々ながんで見られる変異を集めたデータベース (注4) であるGENIEデータベース (https://www.aacr.org/professionals/research/aacr-project-genie/ 外部サイトにリンクします) に登録される7万個以上の遺伝子変異に対して、コンピュータを用いるインシリコ技術によりがんの進化の過程での正の選択やタンパク質の可動性への影響を推定しました。その結果、RET遺伝子の意義不明変異の中に、治療標的となる新たな変異群が存在することを発見しました。
この変異は、RET遺伝子のCaイオン結合モチーフ (CaLM, カルモジュリン様モチーフ) に存在し、肺がん、大腸がん、乳がんなど複数のがんで見られました。「富岳」「TSUBAME3.0」など複数のスーパーコンピュータを用いた分子動力学シミュレーション (注5)から、このCaLM変異はRETタンパク質とCaイオンの結合を低下し、RETタンパク質の可動性を高めるなど大きな影響を持つことが推定されました(図1)。細胞や精製したタンパク質の実験を行ったところ、シミュレーションでの推定と合致して、RET変異タンパク質は異常な共有結合により二量体化し、RETタンパク質の持つキナーゼ酵素の恒常的な活性化を引き起こし、細胞をがん化させるなど、RETタンパク質の機能を大きく変化させることが分かりました (図2) 。
また、このRET変異タンパク質の恒常的な活性化や変異腫瘍細胞の増殖は、セルペルカチニブ、プラルセチニブという既存のRET阻害薬で抑えられました。よって、RET遺伝子のCaLM変異を持つがんには、RET阻害薬による治療が効果を示す可能性があります。
図1) コンピュータ解析による意義不明変異の意義付け
図2) 既存薬に対する治療応答性の評価
今後の展望
今回発見されたRET遺伝子のCaLM 変異を持つがんの患者さんに、RET阻害剤が治療効果をもたらすか、臨床試験を行うことで確認していきたいと考えます。また、RET遺伝子以外にも意義不明変異は数多く見られます。今後、本研究で用いたインシリコ解析技術を用いて様々な遺伝子で見つかる意義不明変異の意義を解釈することで、既存の抗がん薬による治療効果が見込まれる遺伝子変異群を見つけ出し、患者さんの治療機会を拡大できると期待します。
研究支援
本研究は、日本医薬研究開発機構(AMED)革新的がん医療実用化研究事業(JP21ck0106522 and JP22ck0106721)、次世代がん医療創生研究事業(P-CREATE)(JP21cm0106701)、 JP21ck0106522、JP22ck0106721)、国立がん研究センター研究開発費 (2021-A-10)、AMED橋渡し研究プログラム(国立がん研究センターシーズA)(22ym0126804j0001/21-A-08)、文部科学省科学研究費助成事業(20H00545、JP21K06510)、文部科学省 スーパーコンピュータ「富岳」成果創出加速プログラム「プレシジョンメディスンを加速する創薬ビッグデータ統合システムの推進」、財団法人計算科学振興財団(FOCUS)スーパーコンピューティングセンター、AMED 生命科学・創薬研究支援基盤事業[革新的創薬・生命科学研究支援基盤(BINDS)](JP21am0101112(支援番号1198))、武田科学振興財団、内藤記念財団、上原記念財団の支援を受け行われました。また、分子動力学シミュレーションの一部は、理化学研究所計算科学研究センター HPCIシステム研究プロジェクト(プロジェクトID:hp200129、hp210172)で提供するスーパーコンピュータ「富岳」の計算資源を利用して行われました。
発表雑誌
雑誌名
Cancer Research(オンライン版)
論文タイトル
Novel calcium-binding ablating mutations induce constitutive RET activity and drive tumorigenesis
著者
Junya Tabata, Takashi Nakaoku* (co-first), Mitsugu Araki, Ryunosuke Yoshino, Shinji Kohsaka, Ayaka Otsuka, Masachika Ikegami, Ayako Ui, Shin-ichiro Kanno, Keiko Miyoshi, Shigeyuki Matsumoto, Yukari Sagae, Akira Yasui, Masakazu Sekijima, Hiroyuki Mano, Yasushi Okuno, Aikou Okamoto, Takashi Kohno* (*責任著者)
掲載日
2022年9月27日(日本時間9月27日午後11時)
DOI
10.1158/0008-5472.CAN-22-0834
発表者
- 国立がん研究センター研究所
ゲノム生物学研究分野 中奥 敬史、田畑 潤哉、大塚 綾香、三吉 敬子、河野 隆志
細胞情報学分野 高阪 真路、池上 政周、間野 博行 - 国立がん研究センター 先端医療開発センター
ゲノムTR分野 河野 隆志 - 東京慈恵会医科大学 産婦人科学講座
田畑 潤哉、岡本 愛光 - 京都大学 大学院医学研究科 人間健康科学系専攻 ビッグデータ医科学分野
荒木 望嗣、松本 篤幸、寒河江 由香里、奥野 恭史 - 東北大学 加齢医学研究所
宇井 彩子、菅野 新一郎、安井 明 - 筑波大学 医学医療系
吉野 龍ノ介 - 東京工業大学 情報理工学院 情報工学系
関嶋 政和
用語解説
(注1) がんゲノム医療
がん細胞のゲノムを調べて、遺伝子の変化をもとに患者さん一人ひとりのがんの性質を知り、適切な治療法を選択していく治療法。数十から数百個の遺伝子の異常を一度に調べるがん遺伝子パネル検査が全国230か所のがんゲノム医療中核拠点・拠点・連携病院で行われるようになり、日本のがんゲノム医療が本格的に開始されています。
がんゲノム医療とがん遺伝子検査パネル がんゲノム医療とは(がんゲノム情報管理センター)
(注2) 意義不明変異:VUS (Variants of Unknown Significance)
がんの発症にかかわる機能的な変異かどうか判断できるだけの十分な情報がない変異を表す。多くの患者さんのがんで見つかるにもかかわらず、治療薬の選択につながらないため、がんゲノム医療の大きな問題となっている。
(注3) RET遺伝子
変異や融合などの変化によりがんを起こすがん遺伝子の一つで、タンパク質リン酸化酵素(キナーゼ)をコードしている。RET遺伝子の融合を持つ肺がん、RET遺伝子の変異・融合を持つ甲状腺がんに対しては、RET阻害薬が治療薬として保険診療で用いられている。
プレスリリース2012年2月13日「新しい肺がん治療標的遺伝子の発見」(国立がん研究センター)(PDF:171KB)
(注4) がんゲノムデータベース
様々ながんで見つけられる遺伝子変異を集約したデータベース。本研究では、米国癌学会が運営するProject GENIEデータベースに搭載される約7万個の遺伝子変異を研究に用いた。日本の保険診療で用いられる遺伝子パネルの変異データは、がんゲノム情報管理センター(C-CAT)が運営するデータベースに集約され、研究への利活用が開始されている。
(注5) 分子動力学シミュレーション
分子の振る舞いを原子レベルで予測する手法であり、スーパーコンピュータの発達により、高精度な予測が可能となっている。今回の研究のように遺伝子変異の影響を予測したり、変異タンパク質に結合した薬剤の安定性をシミュレーションすることによって、薬剤の効き方を推定することができる。
京都大学大学院医学研究科 人間健康科学系専攻ビッグデータ医科学分野(外部サイトにリンクします)
プレスリリース2012 年2月13日「RET融合遺伝子上に生じるアロステリック効果を持つ二次変異」(国立がん研究センター)
問い合わせ先
研究について
国立研究開発法人 国立がん研究センター
研究所ゲノム生物学研究分野 分野長 河野隆志(こうの たかし)
学校法人 慈恵大学
産婦人科講座 田畑潤哉(たばた じゅんや)
機関窓口
国立研究開発法人 国立がん研究センター
企画戦略局 広報企画室
学校法人慈恵大学
経営企画部 広報課
国立大学法人 京都大学
総務部広報課国際広報室
国立大学法人 筑波大学
広報局
国立大学法人 東北大学
加齢医学研究所広報情報室
国立大学法人 東京工業大学
総務部 広報課