iPS細胞から成熟した人工心筋組織の作製方法の開発~肥大型心筋症の治療法開発への利用に期待~

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2023-10-06 京都大学iPS細胞研究所

ポイント

  1. T112と伸長刺激を用いて人工心筋組織を成熟させる方法を開発した
  2. この方法により肥大型心筋症で見られる症状を再現することができた
  3. 軽度な症状も再現できており、肥大型心筋症のモデルとして利用が期待できる

1. 要旨

藤原侑哉(CiRA増殖分化機構研究部門、T-CiRAプログラム研究員)、三木健嗣(元ハーバード大学兼マサチューセッツ総合病院リサーチフェロー、元CiRA増殖分化機構研究部門特定助教兼T-CiRAプログラム研究員)、吉田善紀(CiRA増殖分化機構研究部門 准教授、T-CiRAプログラム主任研究員)らの研究グループは、iPS細胞から成熟した人工心筋組織(ECT:engineered cardiac tissue)の作製方法を開発し、より正確に心筋症を再現することに成功しました。
ヒトiPS細胞由来の心筋細胞を用いたECTは、心臓疾患を再現するツールとして期待されています。しかし、これまでに知られているECTは組織が未成熟であり、正確な疾患の再現が困難でした。今回の研究では、ERRγ作動薬注1であるT112と伸長刺激を用いてECTの成熟を促進することにより、肥大型心筋症(HCM:hypertrophic cardiomyopathy)注2の2種類の病原性サルコメア注3遺伝子変異(重度な病態を呈するMYH7 R719Qとより軽度な病態のMYBPC3 G115*)をモデル化する方法を確立しました。T112で処理し、伸長刺激を行ったECTは、より成熟した心筋組織の特徴を示しました。MYH7 R719Q変異をもつ成熟ECTは、肥大、過収縮、拡張機能障害、筋原線維配列の乱れ、線維性変化、および解糖系活性化など、さまざまな肥大型心筋症に関する表現型が現れました。一方で、MYBPC3 G115*変異をもつ成熟ECTは一部の表現型を示しました。それは今回の新しい成熟プロトコールでのみ観察されました。つまり、ERRγの活性化と伸長刺激の組み合わせは、ECTの成熟を促進し、肥大型心筋症の病態を再現することに成功しました。
この研究成果は2023年10月6日(日本時間)に「Stem Cell Reports」誌で公開されます。

2. 研究の背景

肥大型心筋症は左心室の肥大を特徴とする疾患で、500人に1人が罹患すると推定されています。肥大型心筋症の約60%は常染色体優性遺伝によるサルコメアの障害であり、1400以上の肥大型心筋症に関連する遺伝子変異が報告されています。病原性変異の約70%は、βミオシン重鎖(MYH7)またはミオシン結合タンパク質C
(MyBPC3)をコードする遺伝子にあります。肥大型心筋症は現在のところ対症療法以外に確立された治療法はありません。
これまでのところ様々な疾患モデルが報告されていますが、いずれもヒトの肥大型心筋症を正確に再現できていませんでした。そのため、肥大型心筋症治療薬の開発は思うように進んでいません。また、肥大型心筋症の重症度の違いを正確に再現することは困難でした。ヒトiPS細胞を用いたECTは、ヒトの心臓を再現する有望なツールですが、成体の心臓と比べて未成熟でした。ECTの成熟度を高めることで、より正確な病態再現をできる可能性があります。
これまでに、研究グループは心筋細胞を成熟化させる化合物のスクリーニングを行い、ERRγ作動薬であるT112が心筋細胞の成熟を促進することを見出して発表しています(CiRAニュース 2021年6月21日)。本研究ではT112を用いて、成熟したECTを作製し、肥大型心筋症の病態をより正確に再現させる手法を確立することを目指しました。

3. 研究結果

1)T112処理と伸長刺激の併用はECTの成熟を促進する
サルコメアのTNNI遺伝子は、胎児型のTNNI1から成体型のTNNI3へと切り替わることが知られています。研究グループは、TNNI1が発現している時にはEmGFPにより緑色に、TNNI3が発現している時には、mCherryにより赤色に光るように遺伝子を導入した、iPS細胞を利用しました。
プレート下を吸引することで、伸長刺激を与えることができる装置(Fig. 1A)を用い、iPS細胞から誘導したECTを伸長させました。T112処理を行ったECT(T112-static)において、成熟した心筋であることを示すmCherryの発現は有意に高く、約2倍に増加しました。さらにT112処理と伸長刺激を行ったECT(T112- Mech.)においてはmCherryの発現は、伸長刺激を行わなかったECT培養(T112- Static)における発現よりも有意に高く、1.6倍に増加しました(Fig. 1B, C)。


Fig. 1 T112処理と伸長刺激がECTの成熟度に与える影響

さらに、心筋の成熟に関わる、サルコメアの長さ、収縮力、ミトコンドリアDNA含有量、グルコース消費量など、さまざまな指標について、T112処理と伸長刺激の組み合わせにより、より成熟した状態になることがわかりました。

2)サルコメア遺伝子変異(MYH7 R719Q変異)による肥大型心筋症のモデル化
健常者由来のiPS細胞をゲノム編集することにより、MYH7遺伝子を変異させました。このiPS細胞からECTを作製し、肥大型心筋症の状態を再現しているかどうか確認しました。野生型のECT(WT)では成熟が進むにつれて筋原線維の配列(Alignment)の乱れ具合が改善しましたが、遺伝子変異を持つECT(R719Q)では調べたすべての条件で改善しませんでした。その結果、肥大型心筋症で見られる筋原線維の配列の乱れは、T112-Mech.処理群でのみ観察されました(Fig. 2)。

Fig. 2 重症型サルコメア変異を持つECTの筋原繊維の配列

また、R719QのECTでは、WT ECTよりも収縮力が高く、弛緩時間が長いという結果が見られました。成熟ECTを用いることで、重度の病態を示す遺伝子変異を持つ肥大型心筋症で見られる、筋原線維配列の乱れ、肥大、収縮亢進、拡張機能障害を含むいくつかの特徴的な肥大型心筋症の表現型を再現することに成功しました。

3)T112処理と伸長刺激により非重症型の肥大型心筋症も再現できる
肥大型心筋症患者さんのうち、MYBPC3切断変異は頻度が高い変異の一つです。健常な人由来のiPS細胞(WT)に対してCRISPR/Cas9を用いたゲノム編集を行い、MYBPC3切断変異を持つiPS細胞株(MYBPC3 G115*)を作製しました。WTとMYBPC3 G115*からそれぞれECTを作製したところ、通常の培養条件では心筋細胞の大きさには差が見られませんでした。T112処理と伸長刺激を組み合わせた方法では、MYBPC3 G115*は肥大していました(Fig. 3)。

Fig. 3 非重症型サルコメア変異を持つECTの心筋細胞の大きさ

また、筋原繊維配列の乱れや収縮力・収縮時間などは同等でしたが、弛緩時間が長くなっていました。
つまり、臨床的により軽度の病態を示す病原性サルコメア遺伝子変異(MYBPC3 G115*)をもつECTにおいて、T112処理と伸長刺激を行う方法は、心筋細胞肥大のような肥大型心筋症の表現型の再現を可能にしました。

4. まとめと展望  

今回の結果から、ERRγ作動薬であるT112と伸長刺激を組み合わせた方法により、人工心筋組織を成熟させることができることを示しました。また、この成熟した人工心筋組織を使うことで、より症状の重い肥大型心筋症、軽度な肥大型心筋症の症状の差をそれぞれ再現することができました。特にこれまで再現が難しかった、軽度な肥大型心筋症の遺伝子変異でも、心筋細胞の肥大を再現することができました。
これらの結果から今回作製した人工心筋組織が、肥大型心筋症の治療法開発に役立つと期待されます。

5. 論文名と著者
  1. 論文名
    ERRγ agonist under mechanical stretching manifests hypertrophic cardiomyopathy phenotypes of engineered cardiac tissue through maturation

  2. ジャーナル名
    Stem Cell Reports
  3. 著者
    Yuya Fujiwara1,2, Kenji Miki1,3,4,+,*, Kohei Deguchi2,5, Yuki Naka1,2, Masako Sasaki1,2, Ayaka Sakoda2,5, Megumi Narita1, Sachiko Imaichi6,++, Tsukasa Sugo7, Shunsuke Funakoshi1,2, Tomoyuki Nishimoto8, Kenichi Imahashi2,5, Yoshinori Yoshida1,2,*
  4. 著者の所属機関
    1. 京都大学iPS細胞研究所(CiRA)
    2. タケダ-CiRA 共同研究プログラム(T-CiRA)
    3. マサチューセッツ総合病院
    4. ハーバード大学
    5. 武田薬品工業株式会社 T-CiRAディスカバリー
    6. 武田薬品工業株式会社 ファーマシューティカルサイエンス
    7. 株式会社 GenAhead Bio
    8. オリヅルセラピューティクス株式会社
6. 本研究への支援

本研究は、下記機関より支援を受けて実施されました。

  1. タケダ-CiRA共同研究プログラム(T-CiRA)
  2. 武田薬品工業株式会社
  3. 日本学術振興会科研費 [20K16218, JP18K15120, JP18KK0461, JP21H02912]
  4. Leducq Foundation [18CVD05]
  5. 日本医療研究開発機構(AMED)再生医療実現拠点ネットワークプログラム
    [JP20bm0104001, JP21bm0204003, JP21bm0804008, JP21bm0804022, JP23bm1423011]
  6. AMED医薬品等規制調和・評価研究事業 [21mk0101189]
  7. AMED再生医療等実用化研究事業 [JP21bk0104095]
  8. iPS細胞研究基金
  9. 京都大学基金
7. 用語説明

注1)ERRγ作動薬
ERRγ(Estrogen receptor-related receptor γ:エストロゲン関連受容体)は、卵胞ホルモンであるエストロゲンに関連する物質に反応する受容体に似た構造を持つ受容体で、ミトコンドリア機能の調整に関与する。ERRγに結合して作動させる化合物がいくつか知られており、T112はその一つ。

注2)肥大型心筋症
高血圧や弁膜症などの明らかな要因がないにも関わらず、心筋の肥大を起こす疾患。心筋の収縮に関わるサルコメアを構成するタンパク質をコードする遺伝子の変異が主な原因。変異の種類によって現れる症状の重さが異なる。

注3)サルコメア
骨格筋は筋繊維によって形成される。そして筋繊維は多数の筋原繊維が束になったものである。この筋原繊維はZ帯で仕切られており、このZ帯に仕切られた単位をサルコメアと呼ぶ。

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