霊長類のフェロモン様物質の同定に成功~ワオキツネザルのメスを惹き付けるオスの匂い~

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2020-04-17 京都大学
今井啓雄 霊長類研究所教授らの研究グループは、東京大学、進化生物学研究所、日本モンキーセンターらと共同で、特徴的な嗅覚コミュニケーションを行うワオキツネザルに注目し、ヒトを含む霊長類で初めて、異性を惹き付けるフェロモン様効果のある匂い物質の同定に成功しました。
ワオキツネザルのオスは、手首の内側にある臭腺(前腕腺)を自身の長い尻尾にこすりつけてその尻尾を大きくゆらし、メスへのアピールや他オス個体への威嚇を行います。本研究グループは、行動観察により、メス個体が、繁殖期のオスの前腕腺分泌液の匂いをより長く、より注意深く嗅ぐ一方で、非繁殖期の分泌液にはあまり興味を示さないことを明らかにしました。次に、分泌液の成分分析を行い、繁殖期の分泌液中には、体内の男性ホルモン(テストステロン)の増加に伴い、フローラル・フルーティー様の香りを持つ三種類の長鎖アルデヒド群が増加していることを見出しました。さらに、これらの成分のみを染み込ませた綿球に対しては、繁殖期のメスのみが興味を示し、非繁殖期のメスは興味を示さないことがわかりました。今回同定されたオスの繁殖期を特徴づける匂い成分が、メスを誘引するフェロモン様の匂いシグナルとして機能していることがわかりました。
本研究成果は、霊長類の嗅覚コミュニケーションの実態を物質レベルで裏付ける最初の知見であると同時に、野生での絶滅が危惧されるワオキツネザルの繁殖管理や保全に役立つと考えられます。
本研究成果は、2020年4月17日に、国際学術誌「Current Biology」のオンライン版に掲載されました。

図:ワオキツネザルのメスを惹き付けるオスの匂いシグナル同定

 詳しい研究内容 ≫
霊長類のフェロモン様物質の同定に成功
ーワオキツネザルのメスを惹き付けるオスの匂い-

1.発表者:
白須未香(東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命化学専攻特任助教)
伊藤聡美(研究当時:京都大学霊長類研究所 ゲノム細胞研究部門 修士課程大学院生
/一般財団法人 進化生物学研究所)
糸井川壮大(京都大学霊長類研究所 ゲノム細胞研究部門 博士後期課程
/日本学術振興会特別研究員)
早川卓志(北海道大学大学院地球環境科学研究院・生態遺伝学分野 助教
/公益財団法人日本モンキーセンター アドバイザー)
木下こづえ(研究当時:京都大学霊長類研究所 ゲノム細胞研究部門 助教
/現:京都大学野生動物研究センター 保全生物学研究部門 助教)
宗近功(一般財団法人進化生物学研究所 資源動物研究室 主任研究員)
今井啓雄(京都大学填長類研究所 ゲノム細胞研究部門 教授)
東原和成(東京大学大学院農学生命科学研究科 応用生命化学専攻 教授
/東京大学ニューロインテリジェンス国際研究機構(WPI-TRCN)連携研究者兼任)

2.発表のポイント:
♦繁殖期にオスのワオキツネザルから分泌されるフローラル・フルーティー様の匂い成分が、メスを惹き付けるフェロモン様の効果をもつことが明らかになりました。
♦ヒトを含む視覚優位な填長類において、個体間コミュニケーションに順覚がどこまで使われているのか未知でした。本成果は、未だに謎の多い填長類の順覚コミュニケーションの実態を、物質レベルで裏付ける最初の知見となります。
♦今回同定されたオス由来の匂い成分は、メスを惹き付ける効果を持つため、将来的にワオキツネザルの繁殖管理や保全に役立てられる可能性があります。3.発表概要:
多くの動物において、配偶者選択や同性間の縄張りあらそいなど、種の繁殖のために必須な行動には、体臭を介した順覚コミュミュニケーションが重要な役割を果たたしています。今回、東京大学大学院農学生命科学研究科、京都大学霊長類研究所、進化生物学研究所、日本モンキーセンターなどの研究グループは、特徴的な順覚コミュニケーションを行うワオキツネザル(注1、図1)に注目し、ヒトを含む霊長類で初めて、異性を惹き付けるフェロモン様効果のある匂い物質の同定に成功しました。
ワオキツネザルのオスは、手首の内側にある自腺(前腕腺、注2)を自身の長い尻尾にこすりつけてその上尾を大きくゆらし、メスへのアピールや他オス個体への威蹴を行います。我々は、行動観察により、メス個体が、繁殖期(注3)のオスの前腕腺分泌液の匂いをより長く、より注意深く順ぐ一方で、非繁殖期の分泌液にはあまり興味を示さないことを明らかにしました。次に、分泌液の成分分析を行い、繁殖期の分泌液中には、体内の男性ホルモン(テストステロン)の増加に伴い、フローラル・フルーティー様の香りを持つ三種類の長鎖アルデヒド群(注4)が増加していることを見出しました。さらに、これらの成分のみを染み込ませた綿球に対しては、繁殖期のメスのみが興味を示し、非繁殖期のメスは興味を示さないことが分かりました。すなわち、今回同定されたオスの繁殖期を特徴づける匂い成分が、メスを誘引するフェロモン様の色いシグナルとして機能していることがわかりました。
本成果は、未だ謎の多い露長類の史覚コミュミュニケーションの実態を物質レベルで裏付ける最初の知見であると同時に、野生での絶滅が危尼されるワオキツネザルの繁殖管理や保全に役立つと考えられます。
4.発表内容:
自然界では動物は、嗅覚を使って、配偶者や餌や縄張りの競争相手、天敵などの存在に関する情報を得ます。つまり、多くの動物にとって、自分自身が放つ体臭は周囲へ自らの存在を知らせるシグナルとして機能します。逆に、他者から発せられる体自は相手の情報を得るためのシグナルとなります。このように体臭を介した収穫コミュミュニケーションの役割は非常に重要なのですが、ヒトをはじめとする霊長類は視覚の発達にともない嗅覚は鈍化したと考えられており、その役割は低く見られてきました。一方で、一部の霊長類において、肛門周囲の分泌物や尿による匂いづけ(マーキング行動)をすることなどが観宗されており、個体間のコミュニケーションが匂い分子を用いて行われている可能性は否定されていませんでした。また、ヒトにおいては、排卵期に近い卵胞期の女性の用の匂いがな、他の時期に比べて、男性にとって魅力的に感じられるという報告がなされており、ヒトさえも体臭を介したコミュニケーションを行っている可能性があります。しかしながら、現在まで、ヒトを含む霊長類の嗅覚研究において、同種他個体間の化学信号として用いられる匂いシグナルの正体は不明でした。
そこで、我々は、霊長類のなかでも特徴的な忠覚コミュニケーション人行動を見せるマダガスカル島固有種のワウオキツネザル(図1)に注目し、その行動によって放出される匂い物質が、ワオキツネザルの繁殖成功に強くかかわっているのではないかと仮説を立てました。ワオキツネザルは、オス・メスの陰部や、オスの腕に存在する自腺(上腕腺:肢の手前側、前胸腺:手首の内側)を用いて、普段の生活の中で縄張り圏にマーキングを頻繫に行います。特に、オスは、敵対するオスへの威蹴や、発情しているメスに性的魅力を示す際に、自身の前腕腺の匂いをこすりつけた見尾を相手に向けて大きくふる尾ゆらし行動(テールウェービング)が見られます。
我々は、初めに、オスが前腕腺によるマーキングを行った箇所をメスが順ぐ行動を観察し、この行動が繁殖期によく見られ、非繁殖期にはほとんど見られないことを見出しました。ここから、メスは繁殖期のオスの前腕腺の匂いに興味をもつことが示唆されました。その後、約4年に渡り定期的にオスの前腕腺分泌液を採取し、並行して採取したオスの前腕腺分泌液に対するメスの行動や分泌液の成分分析を行いました。まず、メスにオスの前腕腺分泌液を呈示し、その匂いを咽ぐ時間を計測すると、繁殖期の分泌液に対してメスは興味を示し、より長く匂いを順ぐ一方で、非繁殖期の分泌液には興味を示しませんでした。次に、匂い明ぎガスクロマトグラフ質量分析装置(注5)を用いて、採取した前腕腺分泌物の成分分析を行ったところ、フローラル・フルーティー様の香りを有する三種類の長鎖アルデヒド化合物(ドデカナール、12-メチルトリデカナール、テトラデカナール)が繁殖期に有意に増加していました。オスの体内のテストステロン(男性ホルモンのひとつ)の濃度は繁殖期に増加することが既に報告されていたため、非繁殖期のオスにテストステロンを投与し、疑似的に繁殖期状態にしたところ、長鎖アルデヒド化合物の含有量が繁殖期と同レベルまで上昇しました。すなわち、長鎖アルデヒド化合物は、オス体内のテストステロン濃度依存的に繁殖期に増加するということがわかりました。最後に、繁殖期に増加するこれらの長鎖アルデヒド化合物の混合物のみを染み込ませた綿球をメス個体に呈示したところ、繁殖期のメスのみが興味を示し、非繁殖期のメスは興味を示さないことが分かりました。
以上の結果より、ワオキツネザルのオスは繁殖期になると、長鎖アルデヒド化合物のフローラル・フルーティー様の香りを尾にまとわせて、大きく尾をふることで匂いを周囲に飛ばして、メスを引き寄せているのだと考えられます。今回同定した匂い物質群は、ある種の昆虫や羊が発していることが報告されていますが、これまでに霊長類が分泌しているという報告はないため、ワオキツネザル特異的なフェロモン物質として機能している可能性があります。また、これらの人匂い成分は、老齢オスと比べて、青年期と言えるような若い成熱オスの前腕腺に、より多く含まれている傾向にあったことから、オスの生殖能力や順位との関連性も示唆されます。
日本の多くの動物園で人気動物として見ることのできるワオキツネザルですが、野生化では生息地の減少などにより絶滅が危尼されています。本成果は、将来的にワオキツネザルの繁殖維持や野生個体群の保全に役立てられる可能性があり、未だ謎の多いヒトを含む霊長類の覚コミュニケーションの実態を物質レベルで裏付けた最初の知見であるといえます。
5.発表雑誌:
雑誌名:「Current Biology
論文タイトル:Key male glandular odorants attracting female ring-tailed lemurs
著者:Mika Shirasu*,Sato miIto*,Akihiro Itoigawa,Takashi Hayakawa,Kodzue Kinoshita,Isao Munechika,Hiroo Imai**,and Kazushige Touhara**#
*Thes eauthors contributed equally to this work.
**Correspondence
#Leadcontact
DOT番号:10.1016/jcub.2020.08.087
公開日:日本時間4月17日(金)午前0時(米国東部標準時:16日(木)午前11時)
6.用語解説:
(注1)ワオキツネザル(Lemur catta)
霊長目キツネザル科の霊長類であり、アフリカのマダガスカル島にのみ生息する。名前の由来ともなる特徴的な白と黒の輪が交互に連なる長い尾をもつ(輪尾”ワオ)。メス優位の社会を持ち、成熟した複数のオスと複数のメスからなる群れを形成する。オスは、前腕の内側に自腺があり、これで周囲の木などに匂いづけをする他、長い尾に匂いをつけ、まっすぐ立てて振ることで自らの存在をアピールする。オス間、メス間それぞれに順位があり、順位は匂いによる闘争やけんかによって変動する。(「レムールーマダガスカルの不思議なサルたち一」監修:淡輪俊・編著:宗近功、「填長類図鑑」編:公益財団法人日本モンキーセンターより)
(注2)前腕腺
オスのワオキツネザルの手首内側に存在する分泌腺(臭腺)で、主にアポボクリン腺からなる。揮発性の高い透明な液を分泌する。分泌液の匂いはフローラル・フルーティー様である。メスの前腕腺は小さい。また、オスは、前腕腺に加えて、膝の付近に上腕腺とよばれるもうーつの真腺も持ち、こちらは獣臭のする茶色いペーストを分泌する。
(注3)繁殖期
動物が発情、求愛、交尾、妊娠など、繁殖に関連する状態になる時期で、季節と関連して周期的に訪れる。北半球で飼育されるワオキツネザルにとっては、10月から2月頃までが繁殖期、8月から9月までが非繁殖期である。
(注4)長鎖アルデヒド
アルデヒドは、アルデヒド基一CHOをもつ化合物の総称。炭素数が12以上のアルデヒドを長鎖アルデヒドと呼ぶ。
(注5)匂いぎガスクロマトグラフ質量分析装置
本装置は、通常のグケスクロマトグラフ質量分析装置のガスクロマトグラフ内のキャピラリーカラムが質量分析計と匂い嗅ぎポートの二股に分岐している。そのため、質量分析計にて分析対象成分の化学構造(化合物名)を同定すると同時に、匂い嗅ぎポートから出てくる匂いをヒトの鼻で嗅ぐことにより、その成分の匂いの質を知ることができる。東京大学大学院農学生命科学研究科の当研究室では、加熱脱着、冷却捕集が可能な試料導入装置を付属することで、通常では分析困難な試料にも対応可能なシステムに改変して用いている。


図1ワオキツネザルのメスを惹き付けるオスの匂いシグナル同定
オスは繁殖期になると、腕の前腕腺(左下:ワオキツネザルオスの全体像と前腕部拡
大)を尾にこすりつけ(左上)、メスや他のオスに対してその尾を大きく前後にあらし
ます(右上:尾ゆらし行動)。前腕腺分泌液をガスクロマトグラフ質時分析装置で成分
分析すると、12-メチルトリデカナールを始めとする三種類の長鎖アルデヒド化合物が繁殖期に有意に増加していることが分かりました(右下図)。そして、メスは、同定されたアルデヒド化合物群の匂いに興味をもってよく咽ぐことが明らかになりました。

 

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