飢餓を感知する感覚神経は新たな行動戦略を生み出す

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2019-08-27 東京大学

Jang Moon Sun(生物科学専攻 特任研究員)
飯野 雄一(生物科学専攻 教授)
國友 博文(生物科学専攻 准教授)

発表のポイント

  • 飢餓と同時に経験した味を忌避するようになる学習に関わる感覚神経をみつけ、その機能を明らかにした。この感覚神経は、普段から自発的に活動しているが、飢餓の環境を感じることによって活動がさらに増加するというしくみで働くことがわかった。
  • 飢餓を感じる感覚神経が働くことにより、エサを効率的に探索できるよう、餌がありそうな方向に進行方向を変える機構が明らかになった。
  • 今回の研究成果は、動物が生きるために不可欠である餌の欠乏を感じることによって、どのように学習が起こって行動が変わるかという、基本的な仕組みを明らかにしたもので、いろいろな動物の行動制御のしくみを理解するために役立つと期待される。

発表概要

動物は過去の経験を記憶・学習し、新しい環境に置かれたときに適切な行動を起こすよう行動を変化させること(行動可塑性)によって、自然界で生き残る確率を高めることができる。この過程では、過去に記憶した情報に基づいて脳内でさまざまな神経回路(注1)の変化が起こっていると考えられている。しかし、このような行動可塑性に関与する神経回路の実体や個別の神経機能についてはまだ不明なところが多かった。

今回、東京大学大学院理学系研究科のJang Moon Sun特任研究員らは、シンプルな神経系を持つ線虫C.エレガンス(以下線虫と呼ぶ、(注2) )を用いた実験により、嫌な環境(飢餓)と結びつけて学習されると、通常は好きな塩味を忌避するようになる行動可塑性について調べた。この結果、学習に必要な神経を同定し、この神経の機能を明らかにした。線虫では塩を感知する神経(味覚神経)の機能が既に分かっていたが、飢餓状態が続くと、味覚神経が感じる環境情報(塩濃度)以外に、飢餓を感知する別の感覚神経の神経活動が上がり、これらの神経が絶妙に協調することで、学習された塩味を忌避する戦略的な行動が成立することを見出した。今回の発見は、学習面であまり機能が知られていなかった感覚神経が、飢餓を経験することによりその神経活動や神経伝達物質(注3)の放出を増強させた結果、行動中に進行方向を適切に制御し、嫌であると記憶された塩濃度から自身を遠ざける機構を明らかにしたものである。今回の成果は、餌がない状況を避けるという、我々人間も含め生物間で共通した学習と、そのときの行動制御の仕組みの解明につながると期待される。

発表内容

研究の背景
飢餓を余儀なくされる環境は、当然のごとく動物にとっては嫌な環境であり、そのような環境条件を経験すると、それが脳内の神経細胞で記憶され、なるべくその環境から逃げるよう、行動を変化させる。このような環境条件に応じた行動変化を行動可塑性と呼ぶ。感覚神経による刺激の感知から、適当な行動を出力する制御に到るまでのメカニズムには複雑な情報処理が必要であり、まだ分かっていないところが多い。そこで本研究ではシンプルな神経系を持ち体長が1mmほどのC.エレガンスと呼ばれる線虫を用いた実験により、飢餓の学習により起こる行動可塑性の仕組みを解明することを目指した。

線虫では数時間単位で学習や記憶が形成され、環境条件に応じて学習がおこり行動が変化する。例えば、エサ(好きな環境因子)とともに特定の塩濃度を経験させた線虫はその塩濃度に誘引されるが、逆に飢餓時(嫌な環境因子)に経験した塩濃度は忌避するような行動を引き起こす(味覚忌避学習と呼ぶ)。このように過去に経験した塩濃度に対し異なる行動可塑性を示す現象は、動物が自然界で長く生き残るための重要な生存戦略の一例と言える。

研究内容
今回、東京大学大学院理学系研究科のJang Moon Sun特任研究員らは簡単な実験系を用いて線虫C. エレガンスに行動可塑性を実現させた。特定の塩濃度とエサもしくは飢餓を同時に経験させることによって、エサの有無と塩の連合学習を行わせ、その後、線虫が塩の情報を利用してどうやって効率的なエサの探索行動を行うかを調べた。学習後の線虫に、塩濃度勾配上を自由に動いてさまざまな塩濃度を感知し、選択できるようにした。すると、線虫は、餌があった環境で経験した塩濃度には近寄り、餌がなかった環境で経験した塩濃度は避けるようになることが観察された。線虫では塩を感知する感覚神経であるASER神経とASEL神経が既に同定されており、エサが豊かな環境における塩の学習においては、ASER神経からの感覚入力だけがあれば、経験した塩濃度に向かう行動が成立することが明らかになっていた(Kunitomo et al, 2013)。一方、飢餓条件で起こる味覚忌避学習には、ASER 神経細胞内で働くインスリンシグナル伝達(Tomioka et al, 2006)が関与することが分かっていたが、ASER神経からの感覚入力だけでは経験した塩濃度を忌避する行動が起こらず、味覚忌避学習に必要な未知の感覚神経の存在が予測されていた。今回、従来味覚走性にマイナーな機能しか知られていなかったASG感覚神経の機能の協力が必要であることを、初めて明らかにした。ASER神経とASG神経両方からの感覚入力によって、飢餓を経験した塩濃度に近づく方向から大きく方向転換する行動(後退やターン行動)を引き起こすことで、学習時の塩濃度を忌避するようになることがわかった(図1)。

図1. 飢餓経験と同時に感知した塩濃度を忌避する仕組み
エサが豊かな環境で経験した塩濃度に向かう線虫の行動は、主にASER神経からの感覚入力によって成立する(左)。一方、飢餓下で経験した塩濃度を忌避する行動にはASER神経とASG神経の両方からの感覚入力を必要とする(右)。ASER神経は進行に伴う塩濃度変化、ASG神経は飢餓を感知し、それらの情報に応じて大きく進行方向を変えることによって、飢餓後の線虫は塩から逃げることができる(中)。右図矢印: スタート時点。緑線は2つの異なる方向に進行していた線虫のその後100秒間の軌跡を示す。

また、カルシウムイメージング(注4)、光遺伝学(注5)、行動定量化解析などを組み合わせた実験により詳細な機構が明らかになった。まず、ASER神経は塩濃度の変化に応答を示すが、エサの有無の学習に関係なく一定の神経応答を示した。一方、ASG神経は直接塩濃度を感知しないが、普段から自発的な活動を示し、飢餓環境の経験によって自発活動が増加した。さらに飢餓を経験させた線虫ではエサが豊かにあった時の線虫よりASG 神経からの神経修飾物質の放出が増加することが分かった。飢餓後にASER 神経だけを人為的に活動させるとエサが豊かにあった学習時の行動が誘導されたが、ASER 神経の活動に加えASG 神経を働かせるとその行動が抑えられた。以上の結果により、ASER 神経細胞内のインスリン経路とASG神経の活性化はお互いに協調しながら線虫の進行方向を適切に制御することが推定された(図1)。

社会的意義・今後の予定
これまでの海外からの研究により、ひとつの感覚神経が多様な感覚情報を伝えることが分かっていたが、さらに本研究は複数の感覚神経の協調が、適切な行動を生み出すしくみにとって重要であることを示した。今後さらに、味覚忌避学習を含めさまざまな環境条件の学習に応じた感覚神経の新たな機能が発見される可能性がある。また、味覚や餌・飢餓に応答する感覚神経やペプチド伝達物質はヒトを含むさまざまな高等生物においても見られるので、本研究の結果は飢餓を感知することで起こる学習・行動可塑性の仕組みの解明にもつながると期待される。

発表雑誌

雑誌名
Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America論文タイトル
Multiple sensory neurons mediate starvation-dependent aversive navigation in Caenorhabditis elegans著者
Moon Sun Jang, Yu Toyoshima, Masahiro Tomioka, Hirofumi Kunitomo*, Yuichi Iino*

DOI番号
10.1073/pnas.1821716116

論文URL

用語解説
注1 神経回路

脳は多くの神経がシナプスによって網の目のようにつながって回路を形成している。これが神経回路と呼ばれ、脳が働く基盤となっている。発生時に形成された神経回路は、その後学習により構造的、機能的に変化することで行動可塑性を生み出す。

注2 C. エレガンス

正式な学名は「Caenorhabditis elegans(シーノラブダイティス・エレガンス)」。小さな線形動物で、バクテリアをエサとする。寿命が短いことや小さな神経系を持つことの利点から、発生生物学や神経科学において広く用いられるモデル生物の一つである。

注3 神経伝達物質

神経細胞間の領域であるシナプスにおいて神経活動に応じて放出され情報伝達を媒介する物質。例えばシナプス前細胞で合成・放出されるモノアミンやペプチドなどが該当する。

注4 カルシウムイメージング

カルシウムが結合すると蛍光強度が変化するタンパク質を細胞に発現させることによりカルシウム濃度変化をモニターする手法。神経細胞に発現させることで、神経の活動を測定する方法としても使われる。

注5 光遺伝学

光によって開いて細胞に陽イオンを流入させるタンパク質を特定の神経細胞に発現させることで人為的に神経細胞の活動を操作する技術。

―東京大学大学院理学系研究科・理学部 広報室―

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